東京外国語大学舩田クラーセン(船田クラーセンさやか)の公式ブログです。アフリカ・市民社会(NGO)・環境関係のイベントや授業、耳寄り情報を流しています。特に、アフリカに関心を寄せる学生の皆さん必読情報を満載しています。
************************
***************
現在、朝日新聞Web版(アサヒ.コム)に記事を連載中。
「魅惑大陸アフリカ」「モザイクアフリカ」のページ
をご覧ください。【連載】変わりゆくアフリカ最前線
http://www.asahi.com/international/africa/mosaic/
***********************************
**
This is an Official Blog Site of Sayaka FUNADA-CLASSEN,Associate Professor of Tokyo University
of Foreign Studies (TUFS).
The following info. is about events & classes on
Africa, Civil Society (NGOs), Environmental issues.
English/Portuguese sites are not yet available...
Sorry, but please study Japanese!
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
モザンビークの食べ物というとやはり海の幸。
首都のすぐそばに広がる干潟。
穴を掘れば出てくる、出てくる。
カニさんたちが。そのカニさんたちは・・・・。
こんな姿に・・・。
何これ?という声が聞こえてきそうな。私の母であれば、まず口にしない
であろうみてくれ。しかし、これが絶品中の絶品。
カニ、キャッサバの葉っぱ(ちょっと苦い・・ここがポイント)、ココナツ、トマト、
でつくったシチューのようなもの。
白いのは、アフリカでは御馴染のメイズのシーマ(お湯でおもち状にしたもの)。
昨日のアフリカDayレセプションでもモザンビーク大使夫人が作った
似たシチューがお目見え。(おくらがたっぶりだったけど。故郷の味
に思わず涙。)
お友達の家にいっても、ほらこのとおり。テーブルの真ん中にどーんと
構えているのがこのカニ・シチューなのであった。ここの旦那とは、彼が
19歳のころからの付き合い。かれこれ10年以上にもなるかしら?
「君・・・若いころ、デートにいってもちっとも話さなかったよね。」
「あれデートだったの?あんた私より8歳も年下のくせに!お母ちゃん
にお小遣いもらって国立舞踊団見に行っただけヤん!」
「まあ、とにかく。どうしてこんなんになっちゃったの?日本の女性って
みんな豹変するのかなあ。」
横で夫がにんまり・・・。
そんな彼も今では、二児のパパ。朝は税関で働き、夜は学校に通う
勤勉青年。奥さんも朝は国立病院で働き、夜は私立病院で働く医者。
「アフリカ人は働かない」って、誰がいったの?と私はいつも思う。
ちなみに、モザンビークの都市では平日は2部構成。正式な仕事プラス
勉強かバイト。
これが可能な理由は、オフィスアワーが朝7時~3時までだから。
(ひいいい。)
さて、モザンビーク料理の中でも、私が最も愛するのは勿論カカナ
あるいはこのカニ・シチューだとしても、子供にすごぶる人気がない。
シーマだけをぱくぱくとおもちのように食べようとする。
一方、連れはシチューばかりをぱくぱくと。まあ、いっか。二人合わせて一人前。
しかし、子供の人気モザンビーク料理といえば・・・・これ。
なんでこれが?!単なるポテトフライ。Batata Frita。ポルトガル語にしただけ
じゃない、と思うなかれ。この新鮮なポテトをその場で揚げたBatataは絶品。
揚げ具合といい、今までどこで食べたものよりもモザンビークが一番・・・とエコひ
いき。(ちがう、えこひいき)
しかし、ザンビアの食事もいずれ紹介するが、何ががっかりしたって、海の
幸がないことではない。そんなの最初から期待してない。何より、自家製ピリピリ
(トウガラシ)がないことがショックでした。
モザンビークではレストランでは間違いなく自家製ピリピリがテーブルに置いてある。
ご家庭でも自慢のピリピリがライムやレモン、オイルやビネガーなどに漬けられて
いて、それぞれの味を楽しむことができる。
一番スタンダードなピリピリと言えば、これ。
ただ、オイルにピリピリを浸して練ったただけ。
モザンビーク中北部のザンベジア料理店に行ってピリピリを頼むと・・・・。
同行していた大使館の皆さんの叫び声が・・・。
からかったからではなく、そのにおいが・・・あるものを思い出させたから。
そうそれは、トイレ掃除の液体の臭い!
なぜ??????
おそらく、おそらく、ライムの実が丸ごと入っていたのと、御酢がそういう
匂いのものだったのだと思うけど・・・。
首都のすぐそばに広がる干潟。
穴を掘れば出てくる、出てくる。
カニさんたちが。そのカニさんたちは・・・・。
こんな姿に・・・。
何これ?という声が聞こえてきそうな。私の母であれば、まず口にしない
であろうみてくれ。しかし、これが絶品中の絶品。
カニ、キャッサバの葉っぱ(ちょっと苦い・・ここがポイント)、ココナツ、トマト、
でつくったシチューのようなもの。
白いのは、アフリカでは御馴染のメイズのシーマ(お湯でおもち状にしたもの)。
昨日のアフリカDayレセプションでもモザンビーク大使夫人が作った
似たシチューがお目見え。(おくらがたっぶりだったけど。故郷の味
に思わず涙。)
お友達の家にいっても、ほらこのとおり。テーブルの真ん中にどーんと
構えているのがこのカニ・シチューなのであった。ここの旦那とは、彼が
19歳のころからの付き合い。かれこれ10年以上にもなるかしら?
「君・・・若いころ、デートにいってもちっとも話さなかったよね。」
「あれデートだったの?あんた私より8歳も年下のくせに!お母ちゃん
にお小遣いもらって国立舞踊団見に行っただけヤん!」
「まあ、とにかく。どうしてこんなんになっちゃったの?日本の女性って
みんな豹変するのかなあ。」
横で夫がにんまり・・・。
そんな彼も今では、二児のパパ。朝は税関で働き、夜は学校に通う
勤勉青年。奥さんも朝は国立病院で働き、夜は私立病院で働く医者。
「アフリカ人は働かない」って、誰がいったの?と私はいつも思う。
ちなみに、モザンビークの都市では平日は2部構成。正式な仕事プラス
勉強かバイト。
これが可能な理由は、オフィスアワーが朝7時~3時までだから。
(ひいいい。)
さて、モザンビーク料理の中でも、私が最も愛するのは勿論カカナ
あるいはこのカニ・シチューだとしても、子供にすごぶる人気がない。
シーマだけをぱくぱくとおもちのように食べようとする。
一方、連れはシチューばかりをぱくぱくと。まあ、いっか。二人合わせて一人前。
しかし、子供の人気モザンビーク料理といえば・・・・これ。
なんでこれが?!単なるポテトフライ。Batata Frita。ポルトガル語にしただけ
じゃない、と思うなかれ。この新鮮なポテトをその場で揚げたBatataは絶品。
揚げ具合といい、今までどこで食べたものよりもモザンビークが一番・・・とエコひ
いき。(ちがう、えこひいき)
しかし、ザンビアの食事もいずれ紹介するが、何ががっかりしたって、海の
幸がないことではない。そんなの最初から期待してない。何より、自家製ピリピリ
(トウガラシ)がないことがショックでした。
モザンビークではレストランでは間違いなく自家製ピリピリがテーブルに置いてある。
ご家庭でも自慢のピリピリがライムやレモン、オイルやビネガーなどに漬けられて
いて、それぞれの味を楽しむことができる。
一番スタンダードなピリピリと言えば、これ。
ただ、オイルにピリピリを浸して練ったただけ。
モザンビーク中北部のザンベジア料理店に行ってピリピリを頼むと・・・・。
同行していた大使館の皆さんの叫び声が・・・。
からかったからではなく、そのにおいが・・・あるものを思い出させたから。
そうそれは、トイレ掃除の液体の臭い!
なぜ??????
おそらく、おそらく、ライムの実が丸ごと入っていたのと、御酢がそういう
匂いのものだったのだと思うけど・・・。
PR
カレンダー
11 | 2024/12 | 01 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
29 | 30 | 31 |
リンク
カテゴリー
最新記事
(04/17)
(10/07)
(09/17)
(06/26)
(06/26)
(06/25)
(06/25)
(06/25)
(06/24)
(06/23)
(06/23)
(06/22)
(06/20)
(06/19)
(06/19)
(06/17)
(06/16)
(06/16)
(06/15)
(06/15)
(06/12)
(06/09)
(06/08)
(06/06)
(06/04)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
舩田クラーセンさやか
性別:
非公開
自己紹介:
舩田クラーセンさやか
東京外国語大学 外国語学部 准教授
(特別活動法人)TICAD市民社会フォーラム 副代表
専門は、アフリカにおける紛争と平和の学際的研究。
モザンビークをはじめとする南東部アフリカの調査・
研究に従事。大学では、ポルトガル語・アフリカ地域
研究・紛争と平和を教える。
1993年よりNGO活動に積極的に関わり、援助改革、
アフリカと日本をつなぐ市民活動に奔走。
国際関係学博士(2006年 津田塾大学)
国際関係学修士(1995年 神戸市立外国語大学)
-1994年、国連モザンビーク活動(ONUMOZ)で国連ボラン ティアとして選挙支援に携わる。
-1996年、和平後のパレスチナ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで政府派遣選挙監視団に参加。
-1995年、阪神淡路大震災時のボランティアコーディネイター(神戸市中央区)
-2000年より、モザンビーク洪水被害者支援ネットワーク(モザンビーク支援ネットワークに改称)設立、代表を務める。
-2002年、「食糧増産援助を問うネットワーク(2KRネット)」設立に関わる。
-2004年より、(特別活動法人)TICAD市民社会フォーラム 副代表に就任。
-2007年8月より、TICAD IV・NGOネットワーク(TNnet) 運営委員に就任。
単著『モザンビーク解放闘争史~モザンビーク現代政治における「統一」と「分裂」の起源を求めて』御茶ノ水書房 2007年
(日本アフリカ学会 研究奨励賞<2008年度>受賞)
共著 The Japanese in Latin America, Illinois University Press, 2004.
東京外国語大学 外国語学部 准教授
(特別活動法人)TICAD市民社会フォーラム 副代表
専門は、アフリカにおける紛争と平和の学際的研究。
モザンビークをはじめとする南東部アフリカの調査・
研究に従事。大学では、ポルトガル語・アフリカ地域
研究・紛争と平和を教える。
1993年よりNGO活動に積極的に関わり、援助改革、
アフリカと日本をつなぐ市民活動に奔走。
国際関係学博士(2006年 津田塾大学)
国際関係学修士(1995年 神戸市立外国語大学)
-1994年、国連モザンビーク活動(ONUMOZ)で国連ボラン ティアとして選挙支援に携わる。
-1996年、和平後のパレスチナ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで政府派遣選挙監視団に参加。
-1995年、阪神淡路大震災時のボランティアコーディネイター(神戸市中央区)
-2000年より、モザンビーク洪水被害者支援ネットワーク(モザンビーク支援ネットワークに改称)設立、代表を務める。
-2002年、「食糧増産援助を問うネットワーク(2KRネット)」設立に関わる。
-2004年より、(特別活動法人)TICAD市民社会フォーラム 副代表に就任。
-2007年8月より、TICAD IV・NGOネットワーク(TNnet) 運営委員に就任。
単著『モザンビーク解放闘争史~モザンビーク現代政治における「統一」と「分裂」の起源を求めて』御茶ノ水書房 2007年
(日本アフリカ学会 研究奨励賞<2008年度>受賞)
共著 The Japanese in Latin America, Illinois University Press, 2004.
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
(04/11)
(04/13)
(04/17)
(04/24)
(05/07)
(05/07)
(05/07)
(05/09)
(05/09)
(05/21)
(05/24)
(06/15)
(06/15)
(07/28)
(05/16)
(05/16)
(05/16)
(05/16)
(05/16)
(05/16)
(06/12)
(06/12)
(06/12)
(06/12)
(06/15)
カウンター
アクセス解析