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東京外国語大学舩田クラーセン(船田クラーセンさやか)の公式ブログです。アフリカ・市民社会(NGO)・環境関係のイベントや授業、耳寄り情報を流しています。特に、アフリカに関心を寄せる学生の皆さん必読情報を満載しています。 ************************ *************** 現在、朝日新聞Web版(アサヒ.コム)に記事を連載中。 「魅惑大陸アフリカ」「モザイクアフリカ」のページ をご覧ください。【連載】変わりゆくアフリカ最前線   http://www.asahi.com/international/africa/mosaic/ *********************************** ** This is an Official Blog Site of Sayaka FUNADA-CLASSEN,Associate Professor of Tokyo University of Foreign Studies (TUFS). The following info. is about events & classes on Africa, Civil Society (NGOs), Environmental issues. English/Portuguese sites are not yet available... Sorry, but please study Japanese!
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突然ですが、家にカイコを飼っています。絹糸を取ろうという魂胆では
あるような、ないような・・・。小学校3年生の理科で、有無を言わさず
家で飼わされます。最初の宿題は、餌になる「桑の葉っぱ」探し。
深大寺だからあるのですが、都心ではできない課題ですね。近所の
お年寄りに聞いて、桑の葉スポット発見。
しかし、この子たちを最も可愛がっているのが、3年女子というのが、
面白い。うちの子も「かわいい」といって、毎日眺めています。
が、カワイイ?

すると、近所に住む元UNHCRゴマ所長(コンゴ民主共和国の米川
さんが登場し、一言。
「たべるん?」
さすがに、絶句の我々を気にも留めず、ご両親がアフリカに遊びに
来た際に、彼女のメイドさんが、野菜炒めにカイコを数匹入れて
(細切れ肉の代わりのタンパク質)、嬉しそうにテーブルに並べたそ
う。お母様、文句も言わず食べたというから、さすが。

フランスでは、「21世紀の健康食」として「昆虫食」がはやっているそ
うです。高タンパクで、臭みもなく・・・しかし、肉食を止めた私たちが
昆虫を食べる・・・のも微妙なものが。魚は食べてるのだから、良い
か・・・。少なくとも、地球温暖化や穀物資源の枯渇という意味では、
肉食の方が害もあるし、魚だって捕りすぎているし。

アフリカの昆虫食といえば、「さなぎ」。おいしいらしいですが、飲み
込んだので、よく分らず。食感がたまらないそうなので、是非試して
みてください。本学中川先生のお部屋にアフリカ土産として陳列さ
れているそうです。(美味しすぎて分けられない・・・そうですが)

ちなみに、深大寺小学校では、カイコを最後に食べるわけではない
ようです。(じゃあ、どうするの?????!!!毎日大きくなるカイコ
1号と2号、以下7号までを眺めながら、日々不安になるわが子でした)

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普段は古紙のコーナーに入れてしまう図書案内を、あるとき何気なく
ぱらぱらっとめくってみたところ、そこに「援助」についての論考があった。
ただし、その「援助」とは、「途上国への援助」ではなく、精神障害者に対
する精神科医や臨床心理士の「援助」のことであった。

そこに、精神科医の久保先生が、Schizophreniaと診断された少女との
やり取りを通じて、「援助者」としての自分をどう変えていったのか、が描
かれていた。精神を患い、どんどん悪化していく少女の心のうちが、彼女
自身の言葉で表現されているノートを偶然目にした久保先生は、面談で
見る彼女の奥底の主体性の発露を知り、衝撃を受ける。

1972年に出版されたこの少女の詩と久保先生を始めとする人々の感想
を、無性に読みたいと思った。ある夜、『天の鐘ー心を病める少女のノート』
を手にした。
**
怒る海、怒る空
その間で、小さくなって
ゆらぐ人家

悲しくば泣け
叫びたければ叫べ
おかしければ笑え
この夜は一人の夜だ
与えられた夜だ

・・Tさんの14歳のときの詩。「続きはこちら」へ
冬の間に葉っぱを食べるために植えていた人参と大根の葉っぱをひっ
ぱってみたら、地中にこんなかわいい実がなっていました。小さいけれ
ど、あまりにもの美味に、感動。

親バカならぬ、野菜バカですね。


すっかり自分の小屋にしているピイピイでした。by海。
言葉は要りませんね・・・。
アクセスは、調布駅からバスで10分。三鷹駅からなら15分



ブリュッセルで研修を受けている際、たまたま文化と開発に関するイベント
がヨーロッパ委員会の主催で開催され、アフリカ・カリブ海・太平洋地域か
ら、歌手・デザイナー・文化大臣たちが結集した。

同委員会のアフリカ市民社会担当官と一緒にファッションショー&音楽
イベントに繰り出した。しかし、開始時間が8時30分からというのがフランス
語圏らしい。しかし、さすがヨーロッパ委員会と思えるほどカッコいい催しだ
ったが、担当官によると「ありえないほどモダンな企画」だったという。いつ
もは、皆真面目くさって議論するのが同委員会の催しの特徴らしい。

特に素晴らしかったのは、ガーナのデザイナーの地元の布地を使ったドレ
スの数々。「あれほしい、これほしい」と皆で囁き合うほど。しかし、女性た
ちの見ているポイントと男性たちの見ているポイントはどうも違うようで、
そこはアフリカの男性もヨーロッパの男性も変わらない・・・。

<=このファッションショーの動画は「アフリカと国際関係」の授業で見せ
ますね。

もっと凄かったのが、翌日の野外コンサートの出演者のお披露目。たった
一曲ずつだけに残念だったが、一番しびれたのがジンバブエの女性歌手
Chiwoniso(チワニソ)。「Rebel Woman(反抗女性)」というタイトルの歌
に女性陣一同心が揺さぶられ、無言となった。

「Remember that you fought for your people
I know the freedom's been hard won
It's been so hard won
But as you weep rebel woman
Remember you were strong....」

http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=95610443
チワニソの紹介
http://www.youtube.com/watch?v=pvtehkeXzMA
チワニソのビデオクリップ(かっこいい)
http://www.youtube.com/watch?v=8DirQaG76kQ&feature=related
ジンバブエにおける音楽の状況・アカペラあり

しかし、やはりRebel WomanのCDをぜひ買って聴いてください。
(日本でも販売されてます)
ヨーロッパ委員会の招待で行った1週間のブリュッセルでの研修を終えて帰国しました。
毎年世界の非EU国から1カ国につき4-5名が選ばれ、年間160名がこのような研修を
受けています。以下は、先週の他の研修者で、左からウクライナ、ウルグアイ、私、
ブラジルの研修生です。皆ずいぶん若い人たちでしたが、写真に写ってない2名は
50代の人たちでオーストラリアとアメリカの人でした。


ヨーロッパ議会の中の記者会見場にて

議会の中の様子。26の言語の通訳ブースが…
ついに2008年度も終わってしまいましたね。
そして、5年間運営を担ってきたTICAD市民社会フォーラム(NPO法人)の事務
所も昨日で閉鎖。残務処理は若干残っているものの、肩の荷が下りました。

今、ヨーロッパ議会のインターネット室でこれを書いています。
出発前は、いつものバタバタで、持病の腰痛が悪化しつつありましたが、日曜日
にこちらに着いてから、一日中あっちこっちに歩かされているせいか、あるいは
開放感からか、すっかり良くなりました。

今回は、European Commission(EC)の招待で、EUの対アフリカ政策をリサ
ーチするために1週間の予定でブリュッセルに来ています。このEUビジターズ
プログラムは、年間160名を非ヨーロッパ諸国から招へいして、各ビジターの
調べたい内容や希望にあわせて、オーダーメイドで1週間のプログラムを作って
くれます。

今週のビジターは、ブラジル・ウルグアイ・ウクライナ・アメリカ・オーストラリア
で、男女比率は半々となっています。毎日4-5のアポイントメントを入れられ
ており、80か所に分かれているECの関連オフィスをめぐる日々で、ヒールしか
持ってこなかったブラジル人のビジターは泣きべそをかいている状態です。

かなり面白いMTGもあれば、うーんというものもありますが。今、一つのアポが
キャンセルになったので、初めてゆっくりとする時間ができました。が、油断は
禁物。ここにいる間にも、どんどん他のアポも入ってきて、今日はヨーロッパ議
会のUK出身の議員さんとのアポもはいています。

それにしても会う人の大半が少なくとも4カ国語(英語とフランス語は必ず)を話
すことに驚いています。中には、8ヶ国語というツワモノも。インタビュー相手が
偶然ポルトガル人やポルトガル語圏アフリカ担当者ということもあり、インタビュー
の半分はポルトガル語でやっているのですが、一番驚いたのは、ドイツ人の
コンスタンティンさんの人のポルトガル語でした。あまりにも流暢すぎて、唖然と
して、最後にどこで習ったか聞いたところ、お父さんがドイツの外交官でリスボン
で育ったということでした。

ん???聞いたことがある話。年齢は40代前半。ということは・・・・。
実は、14年ぐらいお世話になっているドイツの外交官ベルンハルトさん(もう退
職しましたが)がいて、おもにポルトガル語圏を担当されており、その息子さん
のステファンさんがブリュッセルに住んでいるので、その数時間後に会うことに
なっていたのです。

ステファン知ってる?
・・・・・(沈黙)まさか?
そう。
えっ!!!!
今日会うことになってるの!
一緒に育ったん幼馴染だ!

なんという世界の狭さ。もともとはお父さんのベルンハルトさんとは、モザンビ
ークで出会ったのでした。94年私がモザンビーク国連活動で働いていたとき、
国際選挙監視団の受け入れも担当していたのですが、そのとき監視要員として
ベルンハルトさんが来られたんですね。クリスマスのたびに、彼のお宅にお邪
魔して、彼の5人の息子たち(といっても皆30-40代ですが)と仲良くさせてい
ただいていました。

今まで、ポルトガル語ができるということをさほど意識することはなかったの
ですが、「Heart of Europe=Brussels」で、ポルトガル語を使いながら、
国際言語としては英語やフランス語、あるいはスペイン語に負けるけれど、
ポルトガル語を話す人同士のサークルの親密度を考えると、結構良いなあ
としみじみ思いました。

では、Ate logo.
4日間四国は愛媛に行ってきた。愛媛大学でのESD国際シンポジウムに参加す
るためであったが、めでたく愛媛大学とモザンビーク北部に新設されたルリオ大
学が協定を結ぶことになり、その記念のシンポ&ワークショップである。

私の第二の故郷モザンビーク北部の典型的な風景。ルリオ大学のエウ
ゼビオ先生のパワーポイント

東京の大学ではなく、地域社会とともに生きる地方の総合大学だからこそ
この協定には意味があると思う。栗田先生のこのパワーポイントのタイトル
にもそれが表れている。地域社会同士が結ばれあうことの重要性を常々
感じてきたが、その第一歩となる動きが実現してうれしい。

一日6時間ぐらいかかったシンポの最後の様子。
翌日は近隣の村にみなで移動し、日本の農村の課題などを学んだ。


タンザニア大使のお別れ会での写真。アフリカらしい多様性ですね。
モザンビーク、ジンバブエ、ガボン、セネガル、タンザニア、ザンビア大使。

しかし、皆さん外交団長、次期外交団長、副外交団長を務めるツワモノども6名
の大使たちに囲まれ、さすがの私もタジタジ。ごく内輪の席ということもあり、かな
り高度な外交・政治的ジョーダン合戦がすごかったのですが、一番の槍玉にあげ
られたのは、ジンバブエ大使。当然です!!(お国のやり方に必ずしも同意され
ているわけではないようですが)
特に、隣国そして政権交代を果たし、故大統領がSADC(南部アフリカ開発共同
体)議長としてジンバブエに外交圧力をかけ続けたザンビアの大使が一番キツー
イジャブを放ち、私も応援。対するジンバブエ大使がせっかくパワーシェアリング
政権が始まったから様子を見守ってよね、と懇願。でも、逮捕や人権抑圧はいけ
ないいよね、とザンビア大使と二人で迫りました。
表面上のおべんちゃらではなく、お互い嫌なことも言える関係こそ、やはり外交
の基本だなあ、とつくづく思いました。これは私の実践してきた民際外交の基本姿
勢でもあります。対政府もこれでやってきました。が、日本社会には、まだそこに
は寛容さがない・・・言い換えれば「個人的」「感情的」に受け止めてしまうようです。
クールさが足りないのですよね。個人攻撃と勘違いする。すべて自分という狭い
領域で考えてしまう。日本の現在の政治を見ていると、マスコミもそれを煽ってい
る感があります。大人になりきれていない社会・・・それが日本なのかもしれません。
しかし、「パートナーシップ」というのは、そんな綺麗ごとではないはずです。これ
は、夫婦関係を思い出せばすぐ分かりますね。やっぱり、おかしいことはおかしい
と言えなければならない。
それにしても、ザンビア大使の高度なユーモアを交えながらのキツイ一言と、そ
れにボケながら応酬するジンバブエ大使の笑顔のやり取りを聞きながら、まだまだ
学ぶことが多い、修行が足りんと思ったしだいです。やはり、アフリカならではの
スピード感とポレポレ(ゆったり)感が一緒に出ているところはウルトラD技です。
しかし、大使たち。私がボケと突っ込みの里・関西の人間と知り、大いに「納得」
だったそうな。(あまりに、東京で出会う日本人とかけ離れているらしい・・・)
それもどうかと思いますが・・・。
 一番大変な時期にアフリカ外交団長を務めたムタンゴ大使(タンザニア大使)が今月
いっぱいで日本を去り、悠々自適のご隠居生活をダルエスサラームで送ることになっ
た。大使と出会ったのは5年前。本学で講演会を開催した際。タンザニアの外交官ら
しく、生真面目で優しい笑顔が印象的だった。
その後、私がタンザニアでも調査をすることになり、ビザ発給やタンザニア政府への
レターなどで大変お世話になった。
が、本当に一緒に「活動」したのは、「アフリカ2008キャンペーン」を立ち上げてから。
http://www.africa2008.jp/ アフリカのために、エッセイコンテストをしたり、走ったり、
泳いだり・・・と実にめまぐるしい活動に献身的に、そして身体をはって(!水着姿で
プールで泳いだ)、協力してくださいました。それまでは、キャンペーンにまったく興味
がなく、僕は真面目にビジネスについて考えたいと言っていたのに!

そんな大使にお別れを言おうものの、オーストラリアから韓国までカバーする大使。
1月からまったくつかまらず、泣く泣く諦めていたところですが、そこはモザンビーク
大使。ごく内輪のお別れ会に呼んでくださり、ゆっくりとお別れとお礼を言うことができ
ました。
かけつけた大使たちもごく親しい大使たち。特に、TICADに向けて精力的に動いた
人たちで、夕食の場は外交官だらけというのに堅苦しくなく、冗談に次ぐ冗談に多い
に楽しい時間が過ぎていきました。(若干、下ねたが多かったのですが・・・)
タンザニア大使からは、私たちとの活動の結果、市民社会の重要性や交流の促進
の重要性を痛感した。帰国したら、日本とアフリカをつなぐ民際交流に今度は市民社
会の一員として尽力したい、とスピーチされました。涙涙でした。
アフリカの北部農村は不思議なところだ。「場」の持つ不思議な力に惹かれて14年間
通い続けている。この不思議さを言葉で言い表そうとしてもうまくいかない。神聖なる
何かに包み込まれている・・・そんな気がしてならないのだ。その意味では、怖い場所
でもある。神もいれば、魔物も棲む。「異界」がそこかしこに、ぱっくりと口を開けて、
待っているような、そんな錯覚を抱くことも多々あった。

住民ですらこういった。「3度もの戦争(第一次世界大戦、植民地解放戦争、独立後
紛争)がこの地に来たのは、この地が戦争を招くからだ」と。私は10年かかった博士
論文で「この地が持つ呪い」が戦争の原因ではないことを実証した。とはいえ、彼ら
の言葉が何故か忘れられなかった。

私は3歳まで京都の漁村で暮らした。集落の端には何段もの階段を上ってではない
と行けない神社かお寺のようなものがあって、その入り口にはいつも不思議な空気
が漂っている気がしたものだ。同じ空気をここ深大寺界隈でも感じる。そして、モザン
ビーク北部でも。深大寺にゲゲゲの鬼多郎の茶屋があるのは、私には至極当然の
ことなのだ。(水木しげるさんが近くに住んでいるとはいえ)

こう書くとかなり異様かもしれない。これらの場所は怖いところだと感じるかもしれ
ない。しかし、実際はこれらの場が持つ力には、人を癒す何かが潜んでいるとい
つも思うのである。現代において人は、目に見えるもの、科学的に証明できるもの
だけを信じ、すべての説明を行おうとする。学問も当然ながらそうである。しかし、
世の中には、あるいは人生には、そうやって説明できない何かが確かにある。その
説明を求めて、私たちの多くは宗教やスピリッチャリズムに走ったりする。あるい
は「自己責任論」の盛り上がりの中、自分の中に説明を求めて、果てしない闇に
迷い込んでしまう。

でも、ときにお化けのせいにしたっていいじゃないか。妖怪のせいにしたっていい。
答えがないことだってあるんだ。

14年前、モザンビーク北部から帰ってきてから、私は知人・友人に自分から連絡
をしない。(厳密に言うと時々はあるが)する必要がないからだ。「会いたい、話し
たい」と思うと、向こうから連絡が来る。あるいは、偶然がその人を私の目の前ま
で運んでくる。連絡が来ないときは、まだ再開するときじゃないから。最近はよくそ
う思う。まあ、単なる筆不精の言い訳にすぎないといえばそれまでだけど!
大学院ゼミに中国人の留学生が来てくれるようになって2年。
おかげで、昨今の「中国のアフリカ進出」に留まらず、中国への関心が高まった。

昨日の朝日新聞の上海特派員メモに、オバマ大統領の就任演説の中国訳「全文」
が新華社通信に掲載された話が紹介されていた。しかし、それは「全文」ではなく、
部分部分明白な削除があるという。例えば、「共産主義」の文字が消えていたなど
は予想どうり(文脈では屈服させたという動詞が続く)。

面白かったのは次の2点。
1)「公金を扱う者は説明責任を求められる」=>「説明」が抜け「責任」だけとな
ったらしい。国民に説明する必要なし、ということか。
2)「腐敗と謀略、反対者の抑圧によって権力にしがみつく者たちは、歴史の誤った
側にいることに気づくべきだ」の全文が削除

特に、2)を見て私は微笑んだ。そうか、政府は「抑圧によって権力にしがみついて
いる」自覚があるのだ!その事実にしばし目が点になってしまった。
深大寺で何回か目の「深大寺まちづくり協議会」のワークショップが開催された。
地元のお蕎麦屋さん、お寺の和尚さん、深大寺フェスタ実行委員(NGO)、深大寺
のガイドさん、新旧住民など、40名ほどが集まり、4つのグループに別れて「深大
寺地区のまちづくりの目標」を話し合った。

過去のワークショップで出てきた「深大寺らしさ」のキーワードは、「水・緑・寺(
1300年の歴史)・蕎麦・癒し」などであった。これに基づき、深大寺地区をどのよ
うな地区へと変貌させていくかを話し合った。

一番多かった意見が、既にある地域の資源を再発見し、活かしていくことである。
素晴らしいものがいっぱいあるのに、十分整備されてない、活用されていない、
相互につながっていない、知らされてない・・・ということが、数回のワークショッ
プを経て、参加者の間に自覚されるようになったという。

まさに、「途上国」で行われている「参加型コミュニティ開発計画」を、「参加住民」
として体感した。このようなワークショップのファシリテータ育成コースが日本で
も沢山開かれている(自分もオーガナイズしたことも何度もある)が、あくまでも
架空の事例(●国の●村)を使って行う。実際、ファシリテータとなって国際協力の
現場で活躍するコンサルも、「一住民」として実際にワークショップを経験する機
会はほとんどないはずだ。

その意味でなかなか面白い経験だったし、若い人・年配の人、男性・女性、商売
をしている人・住民、古くからいる人・新しい人・・・それぞれの違いと共通性になん
とも面白いものを感じた。最近私が関心を寄せる「当事者性」を再考する上でも有
意義な体験であった。

我が家のご近所さんのおじいちゃんたちも大活躍。

しかし、最初に音頭をとったのは調布市。やはりそうか・・・。市の政策として、市
内いくつかのまちづくり協議会を支援することになっているらしい。とはいえ、市
の人たちは上から目線で、協議会づくりを推進しているわけでもない。市有数の
観光地でもある深大寺との連携も長期に亘るものだ。そこは地方行政ならでは
の継続性ときめ細かさ。

とはいえ、このプロセスを実際にサポートするのは外部コンサルティング会社で
ある。古くからの住民の既存の組織がしっかりと機能している深大寺で、他の事
例をよく知っている第三者の立場のプロのコンサルの存在は重要である。他方、
市から協議会に降りてきた250万円という大きな予算のほとんどはこのコンサル
会社に委託費として支払うという。うーん。援助の実施体制と同じ構造だなあ。
しかもワークショップを見ていても、いつの間にかコンサルが司会をして、いつの
間にか皆コンサルを見て話している。「住民主体の・・・まちづくり」となるには、コ
ンサルに巨額の委託費を払って、おんぶに抱っこでは駄目だろう。

かと言って、参加者の大半が60歳を越えている状態では、新しい組織を効率よく
目標策定、政策提言と実施まで導く人材がいるわけでもない。とはいえ、何人か
は30代・40代の人もいて、テキパキと意見をとりまとめている。そういう人に限っ
て深大寺に暮らす住民ではなく、周辺に暮らしながらも深大寺を愛して、まちづ
くりに情熱を燃やしている人たちである。「当事者性」は依然重要で、住民の「主
体的参加」を引き出していくことは長い目で見て重要である。そのためにも、「半
当事者」や外部者の刺激と情熱を、びしばしと住民に届けてほしいと思う。

となると、コンサル会社に莫大な委託費を払うより、地元NPOに払った方が良い
のではないだろうか・・・。その方が地元への還元という意味で有意義であろう。
ついにオバマ政権が発足した。
テレビもないし、さすがに生中継で見たわけではないが、さきほどBBCで
オバマ就任演説を聴いた。アメリカ合衆国の伝統的価値を結束の機軸と
して明示し、再生のため、逆境の中の船出に国民一人一人の参加を求め
る演説には、心打つものがあった。「責任」という言葉が連発された点に、
何故かうれしい気持ちになった。特に、将来世代への「責任」が強調され、
今歴史の転換点を生きるアメリカ国民として、責任を担っていこうと呼び
かけられていた。

私が、とりわけ「責任」という言葉に敏感に反応したのはなぜだろう。
今、日本でも民の失敗は「自己責任」にされる一方で、組織の中で責任ある
立場にあるはずの人たちの責任が不問にされる傾向が蔓延している。派遣
労働の蔓延と現在の契約中途解約は、政策や企業のマネージメントの失敗
から来ているというのに、リーダーたちは責任を取ろうとしない。将来世代へ
のツケ(国の借金250%)をどんどん積もらせている一方で、若い人たちの
失業あるいは非正規雇用状態(若者世代の40%を超える)は自己責任にし
てしまう。

「有言実行」どころか、言ったことをコロコロ変える総理大臣が率いる日本で
ある。小学生ですら「笑いのネタ」にしているほど・・・。

そんな大人たちの言動に胡散臭さを感じて育った若者たちに、「責任・責任」
と連呼しても仕方がない。まずは自分の行動を正すことから始めたい。
12月にとある食堂で昼ごはんを食べていたとき、「最近の男の子たちは、
酒も飲まん、タバコも吸わん、車も持たん、女も買わん、で本当に意気地が
なくなった」と男性社員二人が嘆いている声が耳に入った。

意気地がなくなったんではなく、そんな大人たち(父親たち)の後姿を反面
教師にしているだけじゃないんですか・・・と言いたくなった。酒・タバコは身
体に悪いし、車は環境に悪いし、女性は買うもんではない!実に、責任あ
る行動ではないか!若者がモノを買わなくなったと企業やオジサンたちは
嘆くが、モノや他人が押し付ける価値に振り回されない今の若者はもっとも
本質的な部分での幸せや豊かさを模索しているのではないか。そんな彼ら
が良いと思う社会に変革していけば良いのではないか。実際、「責任」に
ついても、意外と今の若者は社会の中で自分が果たしうる役割というのに
関心を持っていて、ボランティアなどを躊躇せずにやる人も増えている。

とはいえ、若者の自主的なやる気に頼りっぱなしにせず、まずは大人たちが
模範を示したい。就任前日に全国的なボランティア運動を組織して、自らボラ
ンティア活動したオバマの姿を、もっと真似する政治家がいても良いのでは?
(選挙向けのポーズとしての地元の運動会参加とか、そういうのではなく・・・)

就任式で国歌を歌ったのは、アレサ・フランクリンお姉さまだった。(オネエと
呼ぶに相応しい、ソウルの女王。私の一番好きな歌手)彼女の歌の素晴らし
さもそうだが、彼女の歌手生命の長さをつくづく感じた。民主党の支持者とし
て、党大会やクリントンの大統領就任式でも歌っていた彼女であるが、やは
り今回は格別だったろう。

しかし何故か、マーヴィン・ゲイが国歌を歌う動画を見つけてしまった。
http://www.youtube.com/watch?v=QRvVzaQ6i8A&feature=related
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プロフィール
HN:
舩田クラーセンさやか
性別:
非公開
自己紹介:
舩田クラーセンさやか
東京外国語大学 外国語学部 准教授
(特別活動法人)TICAD市民社会フォーラム 副代表

専門は、アフリカにおける紛争と平和の学際的研究。
モザンビークをはじめとする南東部アフリカの調査・
研究に従事。大学では、ポルトガル語・アフリカ地域
研究・紛争と平和を教える。

1993年よりNGO活動に積極的に関わり、援助改革、
アフリカと日本をつなぐ市民活動に奔走。

国際関係学博士(2006年 津田塾大学)
国際関係学修士(1995年 神戸市立外国語大学)

-1994年、国連モザンビーク活動(ONUMOZ)で国連ボラン ティアとして選挙支援に携わる。
-1996年、和平後のパレスチナ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで政府派遣選挙監視団に参加。
-1995年、阪神淡路大震災時のボランティアコーディネイター(神戸市中央区)
-2000年より、モザンビーク洪水被害者支援ネットワーク(モザンビーク支援ネットワークに改称)設立、代表を務める。
-2002年、「食糧増産援助を問うネットワーク(2KRネット)」設立に関わる。
-2004年より、(特別活動法人)TICAD市民社会フォーラム 副代表に就任。
-2007年8月より、TICAD IV・NGOネットワーク(TNnet) 運営委員に就任。

単著『モザンビーク解放闘争史~モザンビーク現代政治における「統一」と「分裂」の起源を求めて』御茶ノ水書房 2007年
(日本アフリカ学会 研究奨励賞<2008年度>受賞)

共著 The Japanese in Latin America, Illinois University Press, 2004.
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アフリカ関係イベント&授業&情報 【徒然】深大寺日記 Produced by 舩田クラーセンさやか
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