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東京外国語大学舩田クラーセン(船田クラーセンさやか)の公式ブログです。アフリカ・市民社会(NGO)・環境関係のイベントや授業、耳寄り情報を流しています。特に、アフリカに関心を寄せる学生の皆さん必読情報を満載しています。 ************************ *************** 現在、朝日新聞Web版(アサヒ.コム)に記事を連載中。 「魅惑大陸アフリカ」「モザイクアフリカ」のページ をご覧ください。【連載】変わりゆくアフリカ最前線   http://www.asahi.com/international/africa/mosaic/ *********************************** ** This is an Official Blog Site of Sayaka FUNADA-CLASSEN,Associate Professor of Tokyo University of Foreign Studies (TUFS). The following info. is about events & classes on Africa, Civil Society (NGOs), Environmental issues. English/Portuguese sites are not yet available... Sorry, but please study Japanese!
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アフリカの北部農村は不思議なところだ。「場」の持つ不思議な力に惹かれて14年間
通い続けている。この不思議さを言葉で言い表そうとしてもうまくいかない。神聖なる
何かに包み込まれている・・・そんな気がしてならないのだ。その意味では、怖い場所
でもある。神もいれば、魔物も棲む。「異界」がそこかしこに、ぱっくりと口を開けて、
待っているような、そんな錯覚を抱くことも多々あった。

住民ですらこういった。「3度もの戦争(第一次世界大戦、植民地解放戦争、独立後
紛争)がこの地に来たのは、この地が戦争を招くからだ」と。私は10年かかった博士
論文で「この地が持つ呪い」が戦争の原因ではないことを実証した。とはいえ、彼ら
の言葉が何故か忘れられなかった。

私は3歳まで京都の漁村で暮らした。集落の端には何段もの階段を上ってではない
と行けない神社かお寺のようなものがあって、その入り口にはいつも不思議な空気
が漂っている気がしたものだ。同じ空気をここ深大寺界隈でも感じる。そして、モザン
ビーク北部でも。深大寺にゲゲゲの鬼多郎の茶屋があるのは、私には至極当然の
ことなのだ。(水木しげるさんが近くに住んでいるとはいえ)

こう書くとかなり異様かもしれない。これらの場所は怖いところだと感じるかもしれ
ない。しかし、実際はこれらの場が持つ力には、人を癒す何かが潜んでいるとい
つも思うのである。現代において人は、目に見えるもの、科学的に証明できるもの
だけを信じ、すべての説明を行おうとする。学問も当然ながらそうである。しかし、
世の中には、あるいは人生には、そうやって説明できない何かが確かにある。その
説明を求めて、私たちの多くは宗教やスピリッチャリズムに走ったりする。あるい
は「自己責任論」の盛り上がりの中、自分の中に説明を求めて、果てしない闇に
迷い込んでしまう。

でも、ときにお化けのせいにしたっていいじゃないか。妖怪のせいにしたっていい。
答えがないことだってあるんだ。

14年前、モザンビーク北部から帰ってきてから、私は知人・友人に自分から連絡
をしない。(厳密に言うと時々はあるが)する必要がないからだ。「会いたい、話し
たい」と思うと、向こうから連絡が来る。あるいは、偶然がその人を私の目の前ま
で運んでくる。連絡が来ないときは、まだ再開するときじゃないから。最近はよくそ
う思う。まあ、単なる筆不精の言い訳にすぎないといえばそれまでだけど!

この前2年ぶりに博士課程に進学した学生にばったり会った。最後に会ったのは、
確か彼の修士論文の審査の際。私は彼に現場で見たもの・聞いたものをそのまま
書いてもそれは報告書にすぎず、論文ではないと言った。これは、私が繰り返し
言われてきた課題でもあった。そのとき、彼は自分の論文は最高の出来だと思っ
ていて、自分の見たことは真実でありそれを知ってもらいたくて論文を書いたと
言っていた。そして、私のコメントに憤慨していた。以来、彼は私を避けていたよう
に思う。私は、仕方ないなと思いつつ、自分の伝え方にも問題があったかもしれ
ないと反省していた。

2年が経ち、彼は再び現れて、こう言った。この2年間、あのコメントを忘れたこと
はなかった。その上、大学院受験する友人に「君の論文は報告書だ!」と言って
初めて自分の論文の課題に気づいたという。

大学の教員になる日が来るなどとまったく考えてもいなかった時代のことを、今
でも私は思い出す。「言われていることが分からない」、分かろうとしても分から
なかった。そんなとき、先輩や友人が言えばよく分かった。そして、今論文「指導」
なるものをして(学生時代の私を知っている人は一様に苦笑するが・・・それほど
酷かった)、やっと論文の書き方が分かったような気がする。

つまり、学生の立場にいる人にとって、「学生同士の教えあい」は教員による指導
よりも大きな効果を持ちうるのだ。私の掲げる「Peer Education」はまさにそれで
ある。
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プロフィール
HN:
舩田クラーセンさやか
性別:
非公開
自己紹介:
舩田クラーセンさやか
東京外国語大学 外国語学部 准教授
(特別活動法人)TICAD市民社会フォーラム 副代表

専門は、アフリカにおける紛争と平和の学際的研究。
モザンビークをはじめとする南東部アフリカの調査・
研究に従事。大学では、ポルトガル語・アフリカ地域
研究・紛争と平和を教える。

1993年よりNGO活動に積極的に関わり、援助改革、
アフリカと日本をつなぐ市民活動に奔走。

国際関係学博士(2006年 津田塾大学)
国際関係学修士(1995年 神戸市立外国語大学)

-1994年、国連モザンビーク活動(ONUMOZ)で国連ボラン ティアとして選挙支援に携わる。
-1996年、和平後のパレスチナ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで政府派遣選挙監視団に参加。
-1995年、阪神淡路大震災時のボランティアコーディネイター(神戸市中央区)
-2000年より、モザンビーク洪水被害者支援ネットワーク(モザンビーク支援ネットワークに改称)設立、代表を務める。
-2002年、「食糧増産援助を問うネットワーク(2KRネット)」設立に関わる。
-2004年より、(特別活動法人)TICAD市民社会フォーラム 副代表に就任。
-2007年8月より、TICAD IV・NGOネットワーク(TNnet) 運営委員に就任。

単著『モザンビーク解放闘争史~モザンビーク現代政治における「統一」と「分裂」の起源を求めて』御茶ノ水書房 2007年
(日本アフリカ学会 研究奨励賞<2008年度>受賞)

共著 The Japanese in Latin America, Illinois University Press, 2004.
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