東京外国語大学舩田クラーセン(船田クラーセンさやか)の公式ブログです。アフリカ・市民社会(NGO)・環境関係のイベントや授業、耳寄り情報を流しています。特に、アフリカに関心を寄せる学生の皆さん必読情報を満載しています。
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現在、朝日新聞Web版(アサヒ.コム)に記事を連載中。
「魅惑大陸アフリカ」「モザイクアフリカ」のページ
をご覧ください。【連載】変わりゆくアフリカ最前線
http://www.asahi.com/international/africa/mosaic/
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This is an Official Blog Site of Sayaka FUNADA-CLASSEN,Associate Professor of Tokyo University
of Foreign Studies (TUFS).
The following info. is about events & classes on
Africa, Civil Society (NGOs), Environmental issues.
English/Portuguese sites are not yet available...
Sorry, but please study Japanese!
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恩師の小倉充夫先生が代表を務める科研の最終報告書が完成しました。
第一章が拙稿「アフリカにおける市民社会の現況~ザンビアの事例から」
となります。
去年のザンビア出張報告となるので、学術論文としての完成度は十分で
はないのですが、これまで活動としてのみ関わってきたアフリカ市民社会
を学術的な検討対象として初めて見て書いたものなので、自分としては
とても良い経験になりました。大変な試行錯誤ではありましたが・・・。
今後は、もっと学術的な完成度をアップさせていきたいと思います。
なお、小倉先生は、つい最近東大出版会から以下の本を出版されています。
南部アフリカ社会の百年―植民地支配・冷戦・市場経済
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4130561049.html
活動をしている間は、極力「活動」と「研究」をマゼコゼにしないように気を
使っていました。今から思うとそこまでストイックにする必要がなかったのに
と思う反面、だからこそ両方とも思いっきりできたのだという気もします。
研究者として活動を客観視しながらやっていたら、できないことがたくさんあ
りました。例えば、アフリカや日本政府・議員との応対など。
活動を少しばかりお休みすることができる今日この頃においては、両方に
橋をかけてみてもよいな、と思うようになりました。
「続きはこちら」へ
第一章が拙稿「アフリカにおける市民社会の現況~ザンビアの事例から」
となります。
去年のザンビア出張報告となるので、学術論文としての完成度は十分で
はないのですが、これまで活動としてのみ関わってきたアフリカ市民社会
を学術的な検討対象として初めて見て書いたものなので、自分としては
とても良い経験になりました。大変な試行錯誤ではありましたが・・・。
今後は、もっと学術的な完成度をアップさせていきたいと思います。
なお、小倉先生は、つい最近東大出版会から以下の本を出版されています。
南部アフリカ社会の百年―植民地支配・冷戦・市場経済
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4130561049.html
活動をしている間は、極力「活動」と「研究」をマゼコゼにしないように気を
使っていました。今から思うとそこまでストイックにする必要がなかったのに
と思う反面、だからこそ両方とも思いっきりできたのだという気もします。
研究者として活動を客観視しながらやっていたら、できないことがたくさんあ
りました。例えば、アフリカや日本政府・議員との応対など。
活動を少しばかりお休みすることができる今日この頃においては、両方に
橋をかけてみてもよいな、と思うようになりました。
「続きはこちら」へ
私は、これまで、「好きなことを研究する」ことは、封印してきました。戦争の研
究というのは、本当に辛いことで、20代後半はその重さに押しつぶされそうに
なり、毎日泣きながら論文を書いていました。研究発表の場ですら、今日は
泣かずに最後までいけるだろうか・・・と心配していたほどでした。(たぶん、
誰も信じないでしょうが。当時を覚えている先生たちには今でもからかわれ
ます。)百万人が殺された戦争の、最も激しかった場所で、政府・反政府双方
の陣営に翻弄された人びとに話を聞いていたので、当たり前といえば当たり
前ですが。
しかし、ある時、本当に辛いのはモザンビークの人々であり、その人々自身
が、壮絶な体験と記憶を胸に、前向きに生きているのを見て、はっと我にかえ
ったものでした。それ以降は、自分の役割がぱーんと見えて、研究も進みま
したが、博士論文を出版し、憧れの研究者にも書評を書いてもらって、次に
進みたくなりました。
外から見ると、研究も活動も、好きだからやっている・・・と思われがちで
す。実際、そう見えても仕方ないほど、恵まれてもいると思います。しかし、
私の中では、活動も好きだからやってきたわけではなく、正義感や責任感で
やり遂げる一心でやってきたのですが・・・。なぜか「NGOをする」ことは「趣
味」「好きだから」と日本ではとらえられがちですね。実際はかなり違うと思い
ます。少なくとも、国際協力NGOは。
最近、就職活動をしたり、卒論のテーマを探したり、自分探しをしたりして
いる若い学生の皆さんと話をする機会が増えています。悩みの多くは、
「好きなことをいかしたいのに、それが何か分からない・できない」というもの
です。最初は、意味が分からずびっくりしていました。もちろん、「好きなこと」
を一生懸命するのも重要ですし、それが論文や仕事になれば、嬉しいことで
すよね。でも、たぶんそれができる人は本当に僅かなんではないでしょうか。
「好きなこと」を基準にものごとを捉えようとすると、「嫌いなこと」はまったく
触れてはいけないことになります。しかし、「嫌いなこと、だけと必要とされて
いるかもしれないこと」の中に、意外に自分の役割があることもないでしょうか。
また、自分の幅を広げるためには、時に嫌いなことに挑戦する必要はないで
しょうか?ですので、今のかなり限定的な価値観で、自分の「好き」「嫌い」で
判断するのは、若いうちは危険なんじゃないか、と思ってしまいます。なぜな
ら、それは多くの場合、感覚的な「好き」「嫌い」であって、赤ちゃんの「快」
「不快」のようなもので、育っていくにしたがって変化していく可能性のあるも
のだからです。
おこがましいかもしれませんが、私はこれまで「社会に求められてやれる
ことーーー究極的にはそれが自分が求めること」を探してきました。「社会」
は日本に限らず、自分が生きている地球環境も含みます。ですので、活動
・研究・生活は、それぞれ切れているようで、そして意識的に切れさせてい
るにもかかわらず、底辺の部分では決して切れていませんでした。
自分と社会との接点が少なくなればなるほど、「自分の役割」というものは
見えにくくなるのかもしれません。だから、何かを選ばなければならないとき、
自分の「好き嫌いという感覚」に頼りすぎてしまう。ありあまる「選択の自由」
を前に、立ちすくんでしまう皆さんを見て、何かいわなきゃと思うのですが、
適切なアドバイスが思いつかない:::のが正直なところです。
「社会にまみれてみよう」と言ってみたりするんですが、「社会に・・まみれる
・・ですか?」とぎょっとされます。確かに分かりづらいかも。人と密度濃く接
するのが怖い・・・人も増えてますしね。私も、怖いです。でも、それが社会
でもあり、人生でもある、と最近は達観できるようになりました。
私は、中学生の頃から5年ほど、休み中は毎日、普段は週に2-3回、小さな
診療所で働いていました。お年寄りや看護師さんに罵倒されることは日常茶
飯事でした。どうして、そんな風に言われなければならないのか・・・と悲しくな
ったり、腹がたったり。ミスをしては事務のおばちゃんたちにむっとされ、なん
で同級生が楽しくテレビを見たり、おしゃれをしているときに、私はこんなこと
をしているんだろう、と悶々としました。色々な事情があったにはありましたが、
半ば強制的、半ば自分のしたいことを自分の力でやるには自分で稼ぐしかな
い、と思っていたことから、中学二年生のある冬、働き始めました。
診療所では、ありとあらゆる仕事をしました。一番若かったので、あえて人が
嫌がる仕事を引き受けましたが、トイレ掃除や尿検査を担当するのは思春期
の女の子としては、やはり嬉しいことではありませんでした。でも、患者さんが
時折投げかけてくれる笑顔や感謝の言葉に、何度も励まされましたし、「人の
役に立つということはなんと幸せなことなんだろう」と早くに感じることができま
した。
今思えば、それらはすべてかけがえのない経験でした。人間は一人で生きら
れません。自分だけ幸せになっても、結局は本当の幸せにつながらないので
はないでしょうか?「一緒に幸せになる道」を追求するのが、私自身の幸せな
んだといつしか思うようになりました。
でも、「誰と一緒に幸せになるか」という点では、私は偏屈だったかもしれませ
ん。日本から最も「遠く」「関係が薄く」かつ「世界で最も困難な状況下にある人
々」を、よりによって選んだのですから。震災にあって、日本に拘る道を選んだ
とき、さらに日本社会もこのリストにはいりました。が、模索は続きます。
でも、とことん、研究と活動に打ち込んで、いつの間にか自分を後回しにする
ようになると、それはそれで大きな弊害をもたらしもしました。身体を損ねてし
まい、一生治らない病気になってしまいましたし、家族にも随分しわ寄せがい
きました。その意味で、本末転倒でしたね。ですので、最近はちょっぴり「惰性
を楽しむ」ことの幸せにはまったりしています。
ついこの間までは、同時に2つ以上のことはしていない瞬間はないというぐらい
一分一秒を徹底して使いきっていました。自転車通勤をし始めた当初は、自転
車を漕ぎながら、シェークスピアの朗読CDでも聴きながら大学に行かなきゃと
思っていました。それが、少しずつ、何もせず、ただただペダルをこぎ、周りの
風景を楽しむkともできつつあります。毎朝30分間、畑仕事をしている間も、や
はりそれだけできるようになりました(とはいえ、洗濯機ぐらいは回してますが)。
こうなってみて分かることは、人間には精神的余裕も必要なんだな、自分の
ための時間も必要なんだ、ということです。だから矛盾するようではありますが、
最近は「社会<=>自分」との往復運動が、「社会=>自分」あるいは「自分
=>社会」のどちらかだけの一方通行以上に重要なんだと思うようになりました。
そうなってはじめて、活動と研究、教育、生活が、相互に乗り入れ可能なものに
なりつつある気がします。
究というのは、本当に辛いことで、20代後半はその重さに押しつぶされそうに
なり、毎日泣きながら論文を書いていました。研究発表の場ですら、今日は
泣かずに最後までいけるだろうか・・・と心配していたほどでした。(たぶん、
誰も信じないでしょうが。当時を覚えている先生たちには今でもからかわれ
ます。)百万人が殺された戦争の、最も激しかった場所で、政府・反政府双方
の陣営に翻弄された人びとに話を聞いていたので、当たり前といえば当たり
前ですが。
しかし、ある時、本当に辛いのはモザンビークの人々であり、その人々自身
が、壮絶な体験と記憶を胸に、前向きに生きているのを見て、はっと我にかえ
ったものでした。それ以降は、自分の役割がぱーんと見えて、研究も進みま
したが、博士論文を出版し、憧れの研究者にも書評を書いてもらって、次に
進みたくなりました。
外から見ると、研究も活動も、好きだからやっている・・・と思われがちで
す。実際、そう見えても仕方ないほど、恵まれてもいると思います。しかし、
私の中では、活動も好きだからやってきたわけではなく、正義感や責任感で
やり遂げる一心でやってきたのですが・・・。なぜか「NGOをする」ことは「趣
味」「好きだから」と日本ではとらえられがちですね。実際はかなり違うと思い
ます。少なくとも、国際協力NGOは。
最近、就職活動をしたり、卒論のテーマを探したり、自分探しをしたりして
いる若い学生の皆さんと話をする機会が増えています。悩みの多くは、
「好きなことをいかしたいのに、それが何か分からない・できない」というもの
です。最初は、意味が分からずびっくりしていました。もちろん、「好きなこと」
を一生懸命するのも重要ですし、それが論文や仕事になれば、嬉しいことで
すよね。でも、たぶんそれができる人は本当に僅かなんではないでしょうか。
「好きなこと」を基準にものごとを捉えようとすると、「嫌いなこと」はまったく
触れてはいけないことになります。しかし、「嫌いなこと、だけと必要とされて
いるかもしれないこと」の中に、意外に自分の役割があることもないでしょうか。
また、自分の幅を広げるためには、時に嫌いなことに挑戦する必要はないで
しょうか?ですので、今のかなり限定的な価値観で、自分の「好き」「嫌い」で
判断するのは、若いうちは危険なんじゃないか、と思ってしまいます。なぜな
ら、それは多くの場合、感覚的な「好き」「嫌い」であって、赤ちゃんの「快」
「不快」のようなもので、育っていくにしたがって変化していく可能性のあるも
のだからです。
おこがましいかもしれませんが、私はこれまで「社会に求められてやれる
ことーーー究極的にはそれが自分が求めること」を探してきました。「社会」
は日本に限らず、自分が生きている地球環境も含みます。ですので、活動
・研究・生活は、それぞれ切れているようで、そして意識的に切れさせてい
るにもかかわらず、底辺の部分では決して切れていませんでした。
自分と社会との接点が少なくなればなるほど、「自分の役割」というものは
見えにくくなるのかもしれません。だから、何かを選ばなければならないとき、
自分の「好き嫌いという感覚」に頼りすぎてしまう。ありあまる「選択の自由」
を前に、立ちすくんでしまう皆さんを見て、何かいわなきゃと思うのですが、
適切なアドバイスが思いつかない:::のが正直なところです。
「社会にまみれてみよう」と言ってみたりするんですが、「社会に・・まみれる
・・ですか?」とぎょっとされます。確かに分かりづらいかも。人と密度濃く接
するのが怖い・・・人も増えてますしね。私も、怖いです。でも、それが社会
でもあり、人生でもある、と最近は達観できるようになりました。
私は、中学生の頃から5年ほど、休み中は毎日、普段は週に2-3回、小さな
診療所で働いていました。お年寄りや看護師さんに罵倒されることは日常茶
飯事でした。どうして、そんな風に言われなければならないのか・・・と悲しくな
ったり、腹がたったり。ミスをしては事務のおばちゃんたちにむっとされ、なん
で同級生が楽しくテレビを見たり、おしゃれをしているときに、私はこんなこと
をしているんだろう、と悶々としました。色々な事情があったにはありましたが、
半ば強制的、半ば自分のしたいことを自分の力でやるには自分で稼ぐしかな
い、と思っていたことから、中学二年生のある冬、働き始めました。
診療所では、ありとあらゆる仕事をしました。一番若かったので、あえて人が
嫌がる仕事を引き受けましたが、トイレ掃除や尿検査を担当するのは思春期
の女の子としては、やはり嬉しいことではありませんでした。でも、患者さんが
時折投げかけてくれる笑顔や感謝の言葉に、何度も励まされましたし、「人の
役に立つということはなんと幸せなことなんだろう」と早くに感じることができま
した。
今思えば、それらはすべてかけがえのない経験でした。人間は一人で生きら
れません。自分だけ幸せになっても、結局は本当の幸せにつながらないので
はないでしょうか?「一緒に幸せになる道」を追求するのが、私自身の幸せな
んだといつしか思うようになりました。
でも、「誰と一緒に幸せになるか」という点では、私は偏屈だったかもしれませ
ん。日本から最も「遠く」「関係が薄く」かつ「世界で最も困難な状況下にある人
々」を、よりによって選んだのですから。震災にあって、日本に拘る道を選んだ
とき、さらに日本社会もこのリストにはいりました。が、模索は続きます。
でも、とことん、研究と活動に打ち込んで、いつの間にか自分を後回しにする
ようになると、それはそれで大きな弊害をもたらしもしました。身体を損ねてし
まい、一生治らない病気になってしまいましたし、家族にも随分しわ寄せがい
きました。その意味で、本末転倒でしたね。ですので、最近はちょっぴり「惰性
を楽しむ」ことの幸せにはまったりしています。
ついこの間までは、同時に2つ以上のことはしていない瞬間はないというぐらい
一分一秒を徹底して使いきっていました。自転車通勤をし始めた当初は、自転
車を漕ぎながら、シェークスピアの朗読CDでも聴きながら大学に行かなきゃと
思っていました。それが、少しずつ、何もせず、ただただペダルをこぎ、周りの
風景を楽しむkともできつつあります。毎朝30分間、畑仕事をしている間も、や
はりそれだけできるようになりました(とはいえ、洗濯機ぐらいは回してますが)。
こうなってみて分かることは、人間には精神的余裕も必要なんだな、自分の
ための時間も必要なんだ、ということです。だから矛盾するようではありますが、
最近は「社会<=>自分」との往復運動が、「社会=>自分」あるいは「自分
=>社会」のどちらかだけの一方通行以上に重要なんだと思うようになりました。
そうなってはじめて、活動と研究、教育、生活が、相互に乗り入れ可能なものに
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プロフィール
HN:
舩田クラーセンさやか
性別:
非公開
自己紹介:
舩田クラーセンさやか
東京外国語大学 外国語学部 准教授
(特別活動法人)TICAD市民社会フォーラム 副代表
専門は、アフリカにおける紛争と平和の学際的研究。
モザンビークをはじめとする南東部アフリカの調査・
研究に従事。大学では、ポルトガル語・アフリカ地域
研究・紛争と平和を教える。
1993年よりNGO活動に積極的に関わり、援助改革、
アフリカと日本をつなぐ市民活動に奔走。
国際関係学博士(2006年 津田塾大学)
国際関係学修士(1995年 神戸市立外国語大学)
-1994年、国連モザンビーク活動(ONUMOZ)で国連ボラン ティアとして選挙支援に携わる。
-1996年、和平後のパレスチナ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで政府派遣選挙監視団に参加。
-1995年、阪神淡路大震災時のボランティアコーディネイター(神戸市中央区)
-2000年より、モザンビーク洪水被害者支援ネットワーク(モザンビーク支援ネットワークに改称)設立、代表を務める。
-2002年、「食糧増産援助を問うネットワーク(2KRネット)」設立に関わる。
-2004年より、(特別活動法人)TICAD市民社会フォーラム 副代表に就任。
-2007年8月より、TICAD IV・NGOネットワーク(TNnet) 運営委員に就任。
単著『モザンビーク解放闘争史~モザンビーク現代政治における「統一」と「分裂」の起源を求めて』御茶ノ水書房 2007年
(日本アフリカ学会 研究奨励賞<2008年度>受賞)
共著 The Japanese in Latin America, Illinois University Press, 2004.
東京外国語大学 外国語学部 准教授
(特別活動法人)TICAD市民社会フォーラム 副代表
専門は、アフリカにおける紛争と平和の学際的研究。
モザンビークをはじめとする南東部アフリカの調査・
研究に従事。大学では、ポルトガル語・アフリカ地域
研究・紛争と平和を教える。
1993年よりNGO活動に積極的に関わり、援助改革、
アフリカと日本をつなぐ市民活動に奔走。
国際関係学博士(2006年 津田塾大学)
国際関係学修士(1995年 神戸市立外国語大学)
-1994年、国連モザンビーク活動(ONUMOZ)で国連ボラン ティアとして選挙支援に携わる。
-1996年、和平後のパレスチナ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで政府派遣選挙監視団に参加。
-1995年、阪神淡路大震災時のボランティアコーディネイター(神戸市中央区)
-2000年より、モザンビーク洪水被害者支援ネットワーク(モザンビーク支援ネットワークに改称)設立、代表を務める。
-2002年、「食糧増産援助を問うネットワーク(2KRネット)」設立に関わる。
-2004年より、(特別活動法人)TICAD市民社会フォーラム 副代表に就任。
-2007年8月より、TICAD IV・NGOネットワーク(TNnet) 運営委員に就任。
単著『モザンビーク解放闘争史~モザンビーク現代政治における「統一」と「分裂」の起源を求めて』御茶ノ水書房 2007年
(日本アフリカ学会 研究奨励賞<2008年度>受賞)
共著 The Japanese in Latin America, Illinois University Press, 2004.
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