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東京外国語大学舩田クラーセン(船田クラーセンさやか)の公式ブログです。アフリカ・市民社会(NGO)・環境関係のイベントや授業、耳寄り情報を流しています。特に、アフリカに関心を寄せる学生の皆さん必読情報を満載しています。 ************************ *************** 現在、朝日新聞Web版(アサヒ.コム)に記事を連載中。 「魅惑大陸アフリカ」「モザイクアフリカ」のページ をご覧ください。【連載】変わりゆくアフリカ最前線   http://www.asahi.com/international/africa/mosaic/ *********************************** ** This is an Official Blog Site of Sayaka FUNADA-CLASSEN,Associate Professor of Tokyo University of Foreign Studies (TUFS). The following info. is about events & classes on Africa, Civil Society (NGOs), Environmental issues. English/Portuguese sites are not yet available... Sorry, but please study Japanese!
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ドイツの大晦日というと、花火。そして、シャンペン。0時の鐘とともに皆が
道に出て、近所の人と乾杯をして(道端で。零下であろうと)、新年を祝う。
しかし実家のある通りはドイツの他の通りとは異なる習慣がある。それは、
お向かいのオジサンが、狩用の鉄砲をぶっ放すことであった。この癖ど
うも治らないようで、この癖が原因で付き合う女性に振られ続けている。

今年は、趣向を変えて、市民レースに行ってきた。(もちろん走ってない)
大晦日に走ろうと思う日本人は少ないだろう。が、皆ここでは嬉々として
走っている。参加者1500人。子供も大人もお爺ちゃんも走っていた。
クリスマスで太りすぎた身体を絞ろうという魂胆か・・・がしかし、走って
いるのはスリムな人ばかり。うーん。

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毎年恒例の里帰り。場所を深大寺からドイツに移しての徒然草。
ドイツのクリスマスは日本で思われているようにロマンチックなものでも何でも
なく、家族だけで家の中で休暇を過ごすという限りなく日本のお正月に近いも
のである。

(今年95歳の義父。第一次世界大戦中の生まれ・・・)
2日も経つと、飽きてきて家族内の喧嘩が絶えなくなるため、皆「森」に散歩
に行く。おじいちゃん・おばあちゃん・お母さん・お父さん・子供たちが連れ立
って「森」を歩くさまは、初詣のよう。「森」なのに、たくさんの家族が行き交う
様子は、さながら週末の鎌倉のように、異様。

天気が悪いとそれもかなわず、そうなってくると親戚訪問という運びになる。
それぞれの家にそれぞれのクリスマスデコレーションがあってそれはそれ
で楽しい。また、ケーキといえば自家製なのがドイツ。こればかりは褒める
ないわけにいかない。

がしかし、悲しいかな。ここは肥満の国でもある。大量の生クリームを上
に塗りたくらなければケーキではない・・・そう。1週間で既に2キロ太った
私。身体が重い。

見よ、このボリューム!
実家で檻に閉じ込められっぱなしだったピイピイを連れて帰ってきてしまった。
8年前、実家の屋根裏で野良猫のお母さんが産んだ4匹の子猫の中で、一番病弱で
栄養失調で、誰も引き取り手が見つからなかったピイピイ。

それにしても、引き取り手のない野良猫・野良犬・野良カメ(?)・野良鳥(?)をせっせ
と家に持ち帰っては怒られ、しかし粘り勝ちして飼ってきたのだが、最後はいつも母
任せ。御母さん、ごめんなさい。ピイピイも、あんなに抵抗する母を(「どうせ私が世話
する羽目になるんでしょ」と)説き伏せて飼わせてもらたものの、結局はこちらで就職
し、置いて出てきてしまった。

取り壊し&建て替えが進む実家で、ピイピイは檻に閉じ込められて、しょんぼりしてた
のを見て、さすがに責任を感じ、つれて帰ってきてしまいました。今では我が家になく
てはならない存在です。

なんといっても、ピイピイの「フン」は大変貴重。はい、「ふん」が貴重なんです。
コンポストの生ゴミちゃんと土、枯葉と混ざり、とっても良い堆肥になります。「燃えるゴ
ミ」で捨てるよりずっと匂わないし、合理的かつ環境に良い!(はず)


昨夜遅くにドイツの義父母から電話があった。93歳と81歳。なんと、一晩中アメリカ
大統領選のニュースを見続けていたという。感激のあまり電話したという彼らに、心
温まるものを感じた。

私たち家族がオバマ候補に注目したのは多分1年ほど前のこと。連れがスピーチをU-Tube
で聞いて感動したといって、「御父さんはケニア人」ということで私も注目するようになった。
しかし、その時点では、まあ無理だろうと思っていた。まあ、何せアメリカの選挙。世界の
今後に関係あるといえ、私たちに選挙権はないのだし。その時はかなりシニカルな対応だ
ったように思う。

が、子供が熱で学校を休んだとき、家で二人でU-Tubeで色々なものを観ていた(家には
テレビがない)。ふと思いついて、オバマのスピーチを聞いた。民主党の大統領候補選の
分岐点となったニューハンプシャーの予備選での勝利スピーチである。ただ「変化」を繰り
返しているだけと批判されてきたスピーチだが、「変化」を期待する人がこれほどいて、実
際に政治の中枢を変える流れの中にこのような候補者がいるという事実に驚き、単純に
感銘を受けた。http://jp.youtube.com/watch?v=Fe751kMBwms

「自分の手で社会を国を変えられる」・・・その実感を、日本の何人の人が持っているだろ
うか?若い人ですら夢を持つことを躊躇う社会に、この社会はなってしまった。「何も変え
ることなんてできないさ」というニヒリズムが、社会全般に渦巻いている。「政権交代前夜」
とメディアは煽り、実際に政権が交代するかもしれないが、社会に生きる草の根の一人
一人にその実感はない。

今日、アメリカの選挙が終わった。オバマ候補の圧勝。そして、彼のスピーチを家族で聞
いた。確かに、合衆国社会は本当に変わるのか・・・これからが正念場である。

でも、草の根の一人一人が「変化」に掛けて努力をし続けた結果のこの勝利に、アメリカ
の市民社会の強さを感じる。(選挙戦に使われた巨額のお金はあまりにもったいないが・)
http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/us_elections_2008/7710079.stm

オバマの勝利は、「変化」というスローガン以上に、このような「一人一人の政治参加」、
「参加を通じての変化の主体に皆がなりえること」をMass(数えきれないほどの人々)に
実感させた点にあると思う。

ひるがえって、日本。私たちは、「政治への参加意識」をどれほど持っているだろうか?
「政治は政治家の専売特許」と考えてないだろうか?日本が駄目になったのを、単に政
治家と官僚のせいにしていないだろうか?一人一人ができること、もっとないだろうか。

オバマ・ソングというのを子どもと見つけて聴いた。タイトルはズバリ、「YES WE CAN」。
http://jp.youtube.com/watch?v=SsV2O4fCgjk

そのすぐ後に、「No, We Can't」という歌を見つけた。前者の裏番で、マケイン候補が
オバマ陣営に対して「No, You Can't」と非難キャンペーンをしていたのにかこつけたも
のである。これがかなり面白い。
http://jp.youtube.com/watch?v=gI7WwY4a9ro

私たちもいつの間にか、「No, We Can't」の世界に入り込んでいないだろうか。
そんなことを考えながら、終えた一日だった。
せっかくの連休だというのに寝込んでしまった。
それでというわけではないが、カラマーゾフの兄弟を読み終えた。

何を隠そう中学生の頃の愛読書がドストエフスキーとトルストイ。
スタンダールも好きだった。熱が出ると心の中で「やったあ」と呟き、
布団にもぐって名著を読みふけった日々。

それほど読書が好きだったというのに、あまりに忙しい日々をおく
っているが故に、「小説を読む」という習慣もまた、「身体を動かす」
という習慣とともに失っていた。

まったく時間がなかったわけではなかった。たぶん、眠りに就く前
の7分30秒ぐらいは読書に割けたはずだった。でも、気持ちが小説
に向かわなかった。身の回りで起こっているあまりにもリアルな
事件や出来事に、「フィクション」を読む気に一向になれなかった。

それが、洞爺湖サミットが終わって、大学の授業も点数付けも終
わったある晩、むしょうに小説が読みたくなった。たまたま開いてい
た本屋に平積みになっていたのが、『カラマーゾフの兄弟』の新訳
であった(訳はもちろん亀山学長)。

子供のころ、あれほど読みまくったのに、悲しいかな話の筋しか
覚えていない・・・。実際、どれもこれも、あんなに入り込んで読んだ
というのに、ほとんど記憶が、ない。覚えているのは、断片的な
シーンの美しさとか、翻訳が読みづらかったとか・・・そういうことばか
リ。読みやすさを重視した新訳というのに惹かれた。というか、ほんま
か?と思い読み始めた。

が、タイムリミット。アフリカへの出発が目の前に迫っている。
諦めてアフリカに1、2巻を持参。

しかし、驚いたのは我が子。
本を読んでいると、声に出して読んでほしいという。日本語に飢えて
いる様子。アフリカの前にドイツに3週間行っていたのだから、そりゃ
そうだろう。ここは、モザンビーク、ポルトガル語の国だ。

声に出すと、今度は訳がわからんから、分かりやすい言葉で解説
してほしいという。そうやって、読み上げては、解説を、なぜかアフリカ
で毎晩やり続けた。さすがに辛くなった2巻(哲学的すぎて解説も無理)
は、筋だけを教えた。

そして、昨日一人で読破したことを伝えると、一言。
「誰がお父さん殺したん?」
そうか。この本が「父殺しの本」だということを、彼も直観で感じたのか、
あるいは、それにばかり興味があって聞いていた?

「誰やと思う?」
「イワン」
私は正直どきりとした。1巻と2巻の途中しか読んでいないとしたら、
ドミートリー(長男)といってもおかしくない。素直に考えても長男だろう。
しかし、我が子は譲らない。
「まん中のお兄ちゃんに決まってる」

実際は、長男が殺害現場におり、逮捕・有罪判決を受ける。
次男のイワンは犯行時モスクワに向かう電車にいた。
それを伝えても、首を横に振る。

実際のところは本を読んでいただかなくてはならない。
子供いわく、
「話の中に、アリョーシャ(三男)とイワンが道端で話しているところが
出てきたでしょ?あの話で最後のやりとりで、僕はイワンがお父さんを
殺すことになると思った」とのこと。

これは、5巻の訳者の解説にも書いてあるシーンだった。
我が子ながら、恐るべし8歳。

子供は見せられたものをそのまま信じると大人は思いこむ。
しかし、自分の経験からも、親としての経験からも、「そうではない」と
思う。子供はそんなに単純じゃない。そこに、子供の抱え込んでいる
大きな宇宙があると思う。その宇宙を否定するのではなく、どうつきあ
っていったらよいのか一緒に考えることができればなあ、と思う今日
この頃。
今日は防災の日。
新聞に各地での地震の歴史が載る。
阪神淡路大震災からもう13年が経ったことに驚きを覚える。
アフリカへの出発前、震災ボランティア仲間の女の子たちに会う。
女の子たちといっても、皆立派なお母さん。
全国から1万人以上が集まった神戸で、ボランティアコーディネイター
をした毎日。

半年間頑張るものの、その後燃え尽き症候群になり、「震災」「ボランティア」
という言葉から逃げた数年。

モザンビーク大洪水が2000年に発生し、震災ボランティア仲間が再び
結集して、この業界に復帰した。

妊娠中に立ち上げた組織が、アフリカ全般へのアドボカシーかつどうへの
契機となった。

そして、2008年「アフリカ開発会議(TICAD)」と洞爺湖サミットが終わった
今、子供とののんびりした語らいを取り戻したいと思っている。
(というか、子供が生まれてからそんな時はなかったかも・・・。そのことが、
心にずきりと刺さる)

本題へ。
「日本酒飲んで、能登復興」
能登酒造復興とラストという、素敵な試みがある。
「呑みボラ」募集中。
「酒造環境研究会」の代表世古さんに教えてもらった。

お酒を飲むことで、被災した酒造復興を支えようというもの。
神戸震災のとき、私たちは「助ける」ことに余念がなく、経済復興を支える
(特に、零細小規模の経済活動の)視点が欠けていた。
同じ過ちをおかさないために、こういう取り組みはどんどん応援したい。

1口4000円で会員になると、来年3月にできる「しぼりたて」と
10月の「ひやおろし」のどちらか2本が送られる。
ticn(アット)mui.biglobe.ne.jpまで。


大阪外大(現大阪大学)での「アフリカ協力」についての夏季集中講義

今、3日目13時限目です。
10名のスワヒリ語の学生と共に、ビデオを見たり、音楽
を聴いたり、講義をしたり、発表をしてもらったり、グル
ープワークをしたりで、楽しくすごしてきました。

授業のハイライト。ただ今、グループワークの発表中。
2つのグループ「PIGANA」「SAIDIA」の発表です。

=========================
■グループワークの問い■
「変化するアフリカで、アフリカ民衆(一番困難に直面して
いる人びと)の生活の質向上のために、日本(アクター
を明示する)は誰に対して何をすべきか」

■「PIGANA(戦いあう)」チーム■
政府と民衆がそれぞれ変わるだけでは十分ではなく、世
界を変える必要がある。その世界とは、市場や貿易シス
テムのこと。どう変えるかは、議論が煮詰まらず。
ただし、仕組みを変えるには、民衆同士が手に手をとりあって
運動をするなどして世界を変えるしかない。

日本政府ができることは、政府機能の強化や改善。
日本国民ができることは、国民の意識の変革。

重要なのは、民衆が求めることに応える支援を。

貨幣経済に巻き込まれているので、貧困層がチャンス
をいかせる支援を。
その反対意見もあった。農業なら、農民の支援を。
でも決めるのはアフリカ人であるべき。
決めるには、情報提供が重要。

お金をあげるだけではだめ。

■「SAIDIA(助け合う)」
日本の市民社会とアフリカの市民社会があり、
我々日本の市民社会の欲求としてアフリカの貧しい
人を助けたいのだが、アフリカ政府や企業など我々の
意思の及ばないアクターがある。アフリカの市民社会の
利益になっていない組織もある。
市民社会だけでは、影響が及ぼせない。だから、

アフリカ社会内部が変わる必要がある。
アフリカの市民自身が変わるために、政府とNGO
が協力して変革に協力しなければならない。
が、政府はなかなか動かないので、政府から現地
で活動を行っているNGOに出向して、実際にNGO
はどうやっているのかしてもらう必要あり。
私たちは日本の企業にアフリカの人々の生活を
豊かにするために大きな役割を果たしうる。
技術伝達や雇用を生み出せる。
頭脳流出が問題になているようだが、現地に雇用
を生み出すことができれば、大きな効果をもたrす。

日本がこの点についてできることは、日本の国民
がアフリカの未来について考え、政府について
影響を及ぼせるように、世論の流れを作り出す。

そうすれば、日本政府がアフリカ政府に働きかける。
企業が出ていくには、政府の役割もあるだろう。
現地NGOと日本政府が一緒に、アフリカ政府を
動かすのがイメージ。
日本NGOも手段であるように、日本政府も手段
である。
■質疑応答■
Q.日本国民はアフリカにそもそも関心ないのでは?
A.私たちのようにスワヒリ語を学び、アフリカを学ぶ
学生が一人一人だと力にならないので、団体として
働きかければ変わるのではないか?


グループのメインページ | 過去のメッセージ
Yahoo!グループ - ヘルプ
NGO活動の終了にあたって・・・。

この5年間活動をしてきて、今何かが変わろうとしていることを肌身
で感じています。いくつかの変化は我々自身が生み出したものだと
いう自負もあります。が、それを担うのは1団体ではなく、新しい担
い手も含め沢山の組織の形、新しいネットワークがやっていくべき
ことだと思っています。そのさいには、TCSFのこれまでの成果や
ノウハウ、反省を十分に共有していくことは、我々の責任でしょう。
また、TCSF関係者が、そういう新しい動きの中で、それぞれ役割
を果たしていってほしいなあ、と思っています。

今、アフリカをめぐって多様な新しいアクターが誕生しています。昨
日宮本亜門さんの会に行ってそう思いました。
移籍するMisiaさんたちの動きもそれを示しています。Misiaさんの
本気度に、先日お会いした際に心打たれたものでした。メディアの方々
の熱意こもった報道にもアフリカへの関心は出ています。企業ももち
ろん資源とか色々背景はあるものの、アフリカに強い関心を抱いて
います。学生たちも元気いっぱいにアフリカに飛びだしています。
国会議員ですら、アフリカに関心を示すようになりました。

5年前には想像できなかった現象が、そして私たちが夢見た状態が、
今生まれています。

このような新しい状態が生まれる中、これまでアフリカに関わって
きた古くからのアクターたちも、岐路に立たされていると思います。
日本のNGOもそうだと思います。外務省やJICA、JBICといった援助
機関。研究者や教員もそうでしょう。これまでの蓄積と経験を大切に、
そして外に開いて共有しつつ、新しいやり方を試したり、飛躍するべ
きときが来ているのだと思います。




洞爺湖サミットの国際メディアセンターで、一番目立ったプレスがなんとロシアプレスだった。
とにかくやたらとインタビューをしまくる。一日中うろついて、テレビカメラを向けてはインタビュー。
どうしてだろうと思ったら、24時間テレビ放送だそうな。しかも、英語とアラビア語で24時間放送
しており、洞爺湖からライブで流しっぱなしだったという。

写真はアイルランドの歌手ボブ・ゲルドフ。
1980年代エチオピアの飢餓から人びとを救おうと「Live 8]を主催した。
私がモザンビーク大洪水のときにNGOを立ち上げたとき、インタビューに来られた新聞記者
の方が、「ボブ・ゲルドフみたいだ」とつぶやき、私が「それ誰?」と聞いたら、「えっ!!ボブ・
ゲルドフ知らないの?」と驚きのあまり、記事のタイトルが「ボブ・ゲルドフを知らないものの」
となってしまった・・・。

因縁のボブ・ゲルドフさんですが、カラオケでつれが良く歌う「I don't Like Monday」の
歌手だったんですね。以来しっかり覚えていたところ、英国で2005年に開催された
グレンイーグルスサミットに向けて召集された「アフリカ委員会(委員長トニー・ブレア)」
のメンバーとなり、広告塔として大活躍。ドイツのサミット前々日には、地元タブロイド紙
の一日編集長をボノ(U2)と務めていた。TICAD IVに際しては、朝日新聞でボノと再び
1日編集長に。

そのボブさん、サミットでも大活躍。
アフリカ問題について、ボブさんと私がロシアの24時間テレビに出ることに。
しかし、アラビア語放送のほうの質問が、大陸横断ミサイルについての意見・・・だった
ことに、大いに焦った私でした。


深大寺は、昨日夏祭りでした。
夕暮れ時からチントンチントンと太鼓の軽やかなリズムが。
御馴染の、「つきがああああ~でたでたああ~」も。

やむことなくずっと演奏される太鼓の音につられ、境内に設けられたお祭り会場へ。
週末は商売で忙しい地元のソバ屋さんたちが、今日はコミュニティのために大忙し。

手作りのちいさなちいさなお祭りだけど、ああここに暮らしててよかったなあ、としみじみ
思うお祭りです。近所の皆さんのまさに手作り。
ビールもフランクフルトも、近所のおじちゃんたちが楽しげにつくってうってる。
(女性が働いていないところが、これまた深大寺っぽい。うれしい。)

女性たちは、延々と盆踊りを踊り続け、子供たちは太鼓をたたき続け・・・
なんというアットホームさ。

じんわりと優しい気持ちになっていると、ぎょっ。踊りの輪の中に見慣れない「もの」が。

ダルマの着ぐるみが踊り狂ってる様は、さすがの私も「ぎょ」。
おもわず、サミットのときのOXFAM首脳はりぼてを思い出しました。
http://www.oxfam.jp/

ちゃんと地元のテレビも取材に来てて、深大寺を盛り上げる「しかけ人」の実力発揮ですね。
(くせで、すぐメディア対策が気になってしまうのです)
http://chofu.com/
深大寺恋物語(公募中です!)
http://chofujintanren.blog69.fc2.com/

ということで、とってもアットホームな夏祭りでした。




Q.きょうはどんな日?
A.きょうきんじょのことあそんだよ。
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プロフィール
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舩田クラーセンさやか
性別:
非公開
自己紹介:
舩田クラーセンさやか
東京外国語大学 外国語学部 准教授
(特別活動法人)TICAD市民社会フォーラム 副代表

専門は、アフリカにおける紛争と平和の学際的研究。
モザンビークをはじめとする南東部アフリカの調査・
研究に従事。大学では、ポルトガル語・アフリカ地域
研究・紛争と平和を教える。

1993年よりNGO活動に積極的に関わり、援助改革、
アフリカと日本をつなぐ市民活動に奔走。

国際関係学博士(2006年 津田塾大学)
国際関係学修士(1995年 神戸市立外国語大学)

-1994年、国連モザンビーク活動(ONUMOZ)で国連ボラン ティアとして選挙支援に携わる。
-1996年、和平後のパレスチナ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで政府派遣選挙監視団に参加。
-1995年、阪神淡路大震災時のボランティアコーディネイター(神戸市中央区)
-2000年より、モザンビーク洪水被害者支援ネットワーク(モザンビーク支援ネットワークに改称)設立、代表を務める。
-2002年、「食糧増産援助を問うネットワーク(2KRネット)」設立に関わる。
-2004年より、(特別活動法人)TICAD市民社会フォーラム 副代表に就任。
-2007年8月より、TICAD IV・NGOネットワーク(TNnet) 運営委員に就任。

単著『モザンビーク解放闘争史~モザンビーク現代政治における「統一」と「分裂」の起源を求めて』御茶ノ水書房 2007年
(日本アフリカ学会 研究奨励賞<2008年度>受賞)

共著 The Japanese in Latin America, Illinois University Press, 2004.
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