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下平明子さんの公開講演会が終了しました。
「アフリカの田舎に暮らしてみて~13年のモザンビークとの関わり
で考えたこと」というタイトルで、写真を見せていただきながら、
お話を聞きました。
質疑応答の部分だけご紹介いたします。
質問:「開発援助についていくら勉強しても、現場とはギャップが
あり、机上の空論になる」ということだが、具体的には?
答え:アメリカの大学院で読まれている本が2年ぐらい遅れている。
現場はもっとどんどん変化しているため、本や授業、理論に頼りす
ぎないこと。
質問:モザンビークと日本との違うところ
答え:マジョリティの人が貧しくても生活をエンジョイしている人
が多い。家族や友達を大切にする。仁義に厚い人たちが多い。古い
日本を思い出させるところがある。一方、私でも日本の都会に来る
としんどく、早く帰りたいと思ってしまう。暮らしづらい場所に日
本はなっているのかも。
質問:国際協力の分野で働きたい人へのメッセージ
答え:せっかく色々な言語を学んでいるのだから、若い頃にいろ
いろな所に行くのが良い。自分についていうなら、モザンビークに
とても感謝している。目を開いて心を開いていれば色々なことが
入ってくるんだと、今だから分かる。モザンビークから教えてもら
ったのは、不便であれば不便であるほど図太くなるということ。
考え方一つで道は必ず開ける。ダメ元で頑張ってみるところが、モ
ザンビークの人びとから学んだ。懐が深くて優しい人が多い。あの
人は金持ちだからとかではなく、人を人としていたわってくれる。
仕事はほどほどにして家族と愛する人との時間を優先するのが大事
と教えてもらった。
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東京外国語大学 外国語学部 准教授
(特別活動法人)TICAD市民社会フォーラム 副代表
専門は、アフリカにおける紛争と平和の学際的研究。
モザンビークをはじめとする南東部アフリカの調査・
研究に従事。大学では、ポルトガル語・アフリカ地域
研究・紛争と平和を教える。
1993年よりNGO活動に積極的に関わり、援助改革、
アフリカと日本をつなぐ市民活動に奔走。
国際関係学博士(2006年 津田塾大学)
国際関係学修士(1995年 神戸市立外国語大学)
-1994年、国連モザンビーク活動(ONUMOZ)で国連ボラン ティアとして選挙支援に携わる。
-1996年、和平後のパレスチナ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで政府派遣選挙監視団に参加。
-1995年、阪神淡路大震災時のボランティアコーディネイター(神戸市中央区)
-2000年より、モザンビーク洪水被害者支援ネットワーク(モザンビーク支援ネットワークに改称)設立、代表を務める。
-2002年、「食糧増産援助を問うネットワーク(2KRネット)」設立に関わる。
-2004年より、(特別活動法人)TICAD市民社会フォーラム 副代表に就任。
-2007年8月より、TICAD IV・NGOネットワーク(TNnet) 運営委員に就任。
単著『モザンビーク解放闘争史~モザンビーク現代政治における「統一」と「分裂」の起源を求めて』御茶ノ水書房 2007年
(日本アフリカ学会 研究奨励賞<2008年度>受賞)
共著 The Japanese in Latin America, Illinois University Press, 2004.