忍者ブログ
東京外国語大学舩田クラーセン(船田クラーセンさやか)の公式ブログです。アフリカ・市民社会(NGO)・環境関係のイベントや授業、耳寄り情報を流しています。特に、アフリカに関心を寄せる学生の皆さん必読情報を満載しています。 ************************ *************** 現在、朝日新聞Web版(アサヒ.コム)に記事を連載中。 「魅惑大陸アフリカ」「モザイクアフリカ」のページ をご覧ください。【連載】変わりゆくアフリカ最前線   http://www.asahi.com/international/africa/mosaic/ *********************************** ** This is an Official Blog Site of Sayaka FUNADA-CLASSEN,Associate Professor of Tokyo University of Foreign Studies (TUFS). The following info. is about events & classes on Africa, Civil Society (NGOs), Environmental issues. English/Portuguese sites are not yet available... Sorry, but please study Japanese!
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

今年の日本アフリカ学会奨励賞は、松本尚之氏の『アフリカの王を生み出す人々』
でした。ナイジェリアに留学した松本さんは、教科書的には「無頭制」であるはずの
人びとが、「王制」に強い関心を持っていることに触発され、丹念な現地調査を通じ
て、ナイジェリア研究に新しい視点をもたらしました。学会で買って、帰りのバスの中
で楽しく読ませていただきました。

去年の奨励賞は、拙書『モザンビーク解放闘争史~「統一」と「分裂」の起源を求めて』
でした。アフリカ学会の直前に送られてきたジャーナル『アフリカ研究』に、峯陽一さん
が書評を書いてくださっていたことを、学会に行って初めて知りました。(忙しくて、
学会から送られてきた封筒を開けていなかったのです・・・。)

書評は、私の本の書評としては、もったいないぐらい素晴らしく、感動的なものでした。
モザンビーク解放闘争と反アパルトヘイト運動に関わった峯さんを始めとする皆さん
の気持ちが、痛いほどに伝わってくる文章でした。「鬼の目にも涙(by朝日新聞M記者)
」で、不覚にも泣いてしまいました。

実は、解放闘争を批判的に論じることそのものの問題は、津田の大学院でも朝鮮現代
史のL先生から常々指摘されたことでした。その先生も峯さんも、私が徹底して「農村の
人びと」に視点を置き続けているという点には共感してくださったものの、構造に挑戦し
た運動への視線が厳しすぎやしないか、と示唆されました。

そうかもしれません。しかし、私が本の中で目指したのは、もう少し違うことでした。
解放闘争を徹底的に批判的に解体することは本の目的ではなく、運動が置かれた
諸条件(国際的、歴史的、主体形成における)が、いかに運動の可能性と限界を
規定してしまうものなのかを、描きたかったのです。つまり、解放運動を、より大きな
世界史の変動とアフリカ社会の変動の中に位置づけたい、そのことによって社会変
革の困難と可能性を一緒に考えたい、と思ったのです。つまり、批判の最終的ター
ゲットは、運動そのものではなく、それを取り巻く構造「国際関係」であり、自分を含
む「人間ひとりひとり」の主体性でした。

それは、私自身がこれまで様々な運動や活動に関わってきたことと密接に関係し
ています。私たちは、日常を営みながら、社会の現状に対して不条理を感じること
が多々あります。そして、その不条理は、長い時間をかけて歴史的に権力との関係
で育まれたものです。だから、容易に変えることは難しい。変えられるとしたら、
ひとりひとりが立ち上がる時・・・だと思います。でも、私たちは立ち上がっているで
しょうか?連帯しているでしょうか?立ち上がっている人はいます。連帯している人
も。しかし、それは「一部の人」ではなかったか?これは自戒を込めて思っているの
です。10年を運動に費やした身として。職場でも、「変えようとする」ことが無残な結
果を導いていくのを目の当たりにした身として。なぜ、変革の運動は成功しないのか、
成功するには何が必要か?これらの問いは、今でも私の中に残っています。

21世紀の私たちの社会ですらこの状態です。主体の形成も途上です。圧倒的な重
層関係が複雑に築かれた現在の世界において、アフリカの人々(民衆)が置かれて
きた条件は、我々が想像する100倍も1000倍も厳しいものです。その彼らが立ち上
がって、己の運命を己の手で変えようとした。そして、確実にそれは成功した。でも、
その後(独立後)のアフリカを見たときに、本当にそう言えるだろうか。もちろん、この
成功を潰す力の方が大きかった。潰そうとする側は、資金も武器も策略も、なんでも
持っていた。特に、冷戦構造とアパルトヘイト体制の結託は、立ち上がった人々の努
力を吹き飛ばしてしまうほとの力をもっていた。そして、モザンビークでは百万人が命
を失った。

西側諸国の一員として、日本が果たした役割は、人々の独立や自立を支援するもの
ではなく、支配構造(すなわち人びとの命を奪う戦争)を支えるものであり、その背景
と結果には私たちの豊な生活がある。そのことの責任は大きい。そのこと自身を、日
本の皆さんに訴えたかった。だから、この本を日本語で書き、この点にかなりのペー
ジを割いたつもりでした。

(続きはこちらへ)

しかし、その点は十分伝わっていなかったかもしれない・・・というのが、書評を読ん
での感想です。それは、実は予想していたことでもありましたが、私にはどうしよう
もできなかったのです。というのは、この本はその先を目指したものだったからです。

従来の国際関係の厳しさに要因を求める議論に、自分と自分の研究の立場をおき
つつも、議論をそこで終わらせてはいけない、というのがこの本での「私らしさ(オリ
ジナリティ)」のつもりでした。

なぜなら構造のことは、今までも言われてきたことだったからです。でも、単に
今まで言われてきてないことを言うからオリジナリティがあると言いたいのではありま
せん。そうであれば、構造に挑戦して死んでいった人たちを踏みにじることになるか
らです。そうではなく、ここでいう「私らしさ」は、「視点」です。私は自分自身も社会運
動に関与してきた人間として、私がアフリカの活動家だったら・・・と考えたのです。高
いところから、「ああ、アフリカ人の運動は未成熟だから」だなどと、一瞬たりとも考え
たわけではありません。むしろ、自分のこととして考え、考え、考え抜いて、そのとき、
見えてきたことは、このような構造との闘いにおいて、最大のカギは、これまでも言わ
れてきたことではありますが、一人一人の気づき、目覚め(つまり、主体性の発現)、
そして連帯であろう、と。

しかし、そこが一番難しい。その難しさは、単に運動の手法の限界に起因している、
あるいは構造がそれを邪魔するというだけではなく、歴史的に育まれた社会の在り方
に起因している部分が大きいと感じました。「敵」がはっきりしているとき、運動を広げ
ることは容易です。しかし、「敵」が社会の内部にいる、あるいは「敵」と結託した内部者
がいる・・・(得てして社会変革を目指すとそうなってしまいます)場合、「内なる敵」と
どう関わるのか、このような社会の「変わらなさ」をどう乗り越えていくのか、という点に
ついて明確な答えはありません。

かつて人類は、これを「暴力革命」で乗り越えようとしました。「戦争は政治闘争の一
形態だ」とも言われます。日本の歴史を見ても、世界のどの地域の歴史を見ても、そ
うだったと言えるでしょう。今の日本があるのは、過去のいくつもの戦争の結果なのだ
、と。そして、被抑圧者の精神的解放について、ファノンは暴力の重要性を説きました。
実際、モザンビークでも「人民戦争」の概念が取り入れられました。
その是非を私が言う立場にはありません。あの時代のあのモザンビークの運動
を導いていたわけではないからです。しかも、この選択肢がどのような構造と背景から
来たかという点は、無視できません。ポルトガルが植民地を手放そうとしない。冷戦構造
がそれを黙認した。国民形成が途上の途上にあるアフリカで、どのような闘争が可能だ
ったのか。そのようなことを丁寧に描いたつもりです。が、結果として、「闘争が武装闘争
となったことによって、何がもたらされたのか」・・・については、きちんと(つまり、実証的
に、感情に流されることなく)見る必要があると思いました。

私は、熱い共感と切り刻まれるような痛みを抱えながら、モザンビークの歴史、特に解
放闘争を追いました。そして見たものは、暴力が暴力を醸成していく過程でした。ちなみ
に、暴力は武装闘争のことのみをいっているのではなく、モザンビークにもたらされた、
第一次世界大戦からポルトガル軍の暴力まで、様々です。圧倒的な国家の暴力を前に
して、武装蜂起だけが問題化されるパレスチナ状況を見れば、モザンビークの武装闘争
についても同様に、ネガティブなことを言うべきではないかもしれません。しかし、多くの
人が口にする「二頭の巨象が争うとき、草は踏まれるだけ」という諺を思い返すたびに、
草はただ踏まれるのではない未来はないものだろうか・・・と感じずにはいられないので
す。

パレスチナでも、ボスニア・ヘルツェゴビナでも、人々は「暴力はたくさん」と訴えました。
私に、個別のケースについてその是非を口にするだけの理解がないことは確実ですが、
人々の声に耳を傾け続けたいと、やはり思うのです。
だから、モザンビークで、このホンで試みたのは、社会の中へ、人びとの中に入り、そこ
で考えること・・・でした。

「卵が先か鶏が先か」は分かりませんが、マウアの人々と出会ったのは、その意味で
非常に重要なことでした。200人もの人々にインタビューを繰り返しして、15年をかけて
モザンビーク農村に通った結果、今言えることは、やはり「社会の中へ、人々の中へ」
ということが武装闘争と時に矛盾する・・・ということでした。

あのときのモザンビーク解放闘争がどうこうという話ではなく、今後の我々自身の問題
として、まだ目覚めぬ一人一人の私たちの変化を粘り強く訴えていくしかない・・・という
ことが、自分の社会にひきつけて考えていることです。そして、運動の担い手としての
共感としては、やはり「Luta Continua(闘いは続く」ということを忘れずにいたいと思う
のです。

ということは、やはり峯さんがご指摘されるように、私はFRELIMOに一部しか共感して
いなかったという指摘は、正しかったのです。ただ、私が意図した以上にそう聞こえた
かもしれません。自分自身も運動に関わってきた身として、研究については徹底的な
実証性を追求しました。おそらく、その結果として、すべてを突き放したかきぶりになって
いたかもしれません。

いずれにせよ、峯さんの素晴らしい文章については、『アフリカ研究』をご覧ください。
あらゆる意味であんなに重い本を、あれほど忙しくも、素晴らしい研究者である峯さん
に、あれほどの丹念さで読んでいただき、研究者としてこれ以上の光栄はありえない
・・・と感じています。

実は、今まで実践と研究を結びつけて考えたことはほとんどありませんでした。
なるべくお互いを切り離してやろう、でないと目が曇ると考えてきました。だから、
誰よりも実証性に徹底的にこだわってきたようにも思います。

NGO活動に明け暮れた10年、その歳月は同時に、研究に没頭し、こどもを授かった
10年でもありましたが、それがひと段落して、今はそれぞれが私の中でどう関係を
つくっていたのかが、今だから分かります。

ついでに、去年の審査結果文がアフリカ研究に掲載されたので転載します。
****
アフリカ研究73号(2008年12月)日本アフリカ学会、94頁
2008年奨励賞の審査員評:
舩田クラーセンさやか氏の『モザンビーク解放闘争史ー「統一」と「分裂」の期限を
求めて』は、津田塾大学に提出した博士論文に加筆修正して出版された著作である。
全部で700ページ近い大著であり、しかもわが国で研究蓄積の少ないモザンビーク
の独立闘争とその直後に始まった内戦の過程を約1世紀に渡ってたどった、類を
見ない労作である。
「アフリカ独立の年」といわれた1960年前後に、旧イギリス、フランス領の国々は
独立を果たした。しかし、第二次世界大戦前の精度を引きずるポルトガルは植民地
を解放せず、モザンビークを含む国々は長期にわたる独立闘争を余儀なくされた。
本書は、まずポルトガルによるモザンビーク支配の実態を描くことからはじめ、つい
で解放運動の主体となったフレリモの闘争を描きだす。この部分は、ポルトガルの
文書館等に存在する大量の史料を踏まえることで「厚い記述」を実現しているだけ
でなく、南アフリカやボツワナ、タンザニアなどとの間の国際関係のダイナミズムを
十分に踏まえた、読み応えのある部分である。やがてモザンビークは1975年に独立
し、国民主体の「統一」国家の樹立をめざすが、直後の1977年に内戦が勃発して
国内が分断される。「統一」をめざした新国家がなぜ「分裂」にいたったかを、モザン
ビークの一地方での丹念な聞き書き調査を通じて追うことが、本書の後半の課題で
ある。
わが国のアフリカ史研究の低迷がいわれて久しいが、その中で本書は、多くの
史料を丹念にたどるだけでなく、現地でのフィールド調査も踏まえることで、モザン
ビークのこの百年の歴史を見事に描き出している。しかも本書は、国際関係学を
はじめ、アフリカ史学、社会人類学、地域研究などの方法を縦横に駆使することで、
アフリカ史研究に新たな可能性を切り開いている。本書は、モザンビーク史研究の
みながらず、アフリカ史研究の分野で実現された金字塔的著作であり、このような
重要な仕事が30代の若手研究者の手で実現されたことを祝福したい。

PR
[293]  [291]  [290]  [289]  [288]  [287]  [286]  [285]  [284]  [283]  [282
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
最新トラックバック
プロフィール
HN:
舩田クラーセンさやか
性別:
非公開
自己紹介:
舩田クラーセンさやか
東京外国語大学 外国語学部 准教授
(特別活動法人)TICAD市民社会フォーラム 副代表

専門は、アフリカにおける紛争と平和の学際的研究。
モザンビークをはじめとする南東部アフリカの調査・
研究に従事。大学では、ポルトガル語・アフリカ地域
研究・紛争と平和を教える。

1993年よりNGO活動に積極的に関わり、援助改革、
アフリカと日本をつなぐ市民活動に奔走。

国際関係学博士(2006年 津田塾大学)
国際関係学修士(1995年 神戸市立外国語大学)

-1994年、国連モザンビーク活動(ONUMOZ)で国連ボラン ティアとして選挙支援に携わる。
-1996年、和平後のパレスチナ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで政府派遣選挙監視団に参加。
-1995年、阪神淡路大震災時のボランティアコーディネイター(神戸市中央区)
-2000年より、モザンビーク洪水被害者支援ネットワーク(モザンビーク支援ネットワークに改称)設立、代表を務める。
-2002年、「食糧増産援助を問うネットワーク(2KRネット)」設立に関わる。
-2004年より、(特別活動法人)TICAD市民社会フォーラム 副代表に就任。
-2007年8月より、TICAD IV・NGOネットワーク(TNnet) 運営委員に就任。

単著『モザンビーク解放闘争史~モザンビーク現代政治における「統一」と「分裂」の起源を求めて』御茶ノ水書房 2007年
(日本アフリカ学会 研究奨励賞<2008年度>受賞)

共著 The Japanese in Latin America, Illinois University Press, 2004.
バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
アフリカ関係イベント&授業&情報 本の書評 Produced by 舩田クラーセンさやか
黄昏 Designed by ブログテンプレート がりんぺいろ
忍者ブログ [PR]
free pictures